2012年10月15日月曜日

診察中の「話すことが無い」の一言から考えたこと

先月末から今月初めにかけて、なんだか色々と慌ただしく、心も体も疲労気味。
 
先週の土曜日には精神科の予約も入っていたので、診ていただいたのですが、「お疲れモード」であることを伝えるのをすっかり忘れておりました。それどころか、「特に話すこともないんですよね」なんて言う始末。まぁ、お疲れモードであることを伝えたところで、「ちゃんと休むんだよ」という言葉は処方されたでしょうけど、お薬の処方が変わるとは考えにくいので、まぁOKでしょう、多分…。
 
ただ、主治医はさすがに「えっ?」といった感じの反応をされてました。
同時に、私自身も「あれっ?」と思いました。
 
というのも、以前の私だったら「話すことがあり過ぎ」な状態だったからです。なんでもかんでも先生にお話ししたくて、というか聴いてほしくてたまらなかったんです。一種の依存だったんだと思います。
 
それが、気付いたら「(先生に)話すことが無い」と感じているのですから、驚きです。自分でも、どうしてなのか、よく分かりません。症状が改善し、そこまで切羽詰まった感情になることもなくなったからかもしれません。あるいは、先生への依存心が弱まったからなのかもしれません。実際、最近は苦しい時も先生に会わずになんとか対処する術を身に着けたように思いますし。理由が何であれ、結果として、「先生の助け無しでも、やっていけるようになりつつある」と私が感じているから「(先生に)話すことがない」なんて言ってしまったんだと思います
 
なんだか反抗期の子どもみたいですね。でも、こういった自信は私にとって必要なものだったように感じます。今までは、極端に言えば「先生の助け無しには私はどう生きていけば良いのか分からない」という状態でした。完璧に依存している状態です。それが、「先生の助け無しでも、やっていけるのでは」と感じるようになったわけですから、私も成長した、ということなのでしょう
 
先生に依存する中で学んだことは、苦しい時にはSOSを出しても良いんだ、ということ。これはSOSの出し方を知らなかった私にとっては、とても大きな発見でした。ただ、SOSを出すだけでなく、少しずつ自分の足で歩んでいけるようにすることも大切なことなんですよね。自分らしい人生を切り開けるのは自分しか居ないのですから。自分らしく生きるために、「必要な時はSOSを出す」ということを忘れないようにしつつ、これからは、自分の足で立ちあがって、道を切り開いていく勇気を持って歩んでいきたいと思います。

0 コメント:

コメントを投稿