ごく最近、そんな経験がありました。
コットンフラワーと赤紫のドラセナ、ピンクのガーベラ、という可愛らしい組み合わせでお花を活けていたときのこと。活け終わってみると、良く言えば、とてもよく「まとまった」作品が仕上がりました。ただ、正確に言うならば、「まとまり過ぎている」んです。
師匠の講評は
- 全ての花材が均等に入っており、力配分が均等。
- 空間もなく、綺麗に見せたいところがハッキリしていない。
- 作品に動きが見られない。面白みに欠ける。
講評を聴きながら自分の作品を見て、「これは、まるで今の私だな。」と思わず苦笑い。
「綺麗に見せたいところ」は「自分が大切に思っていること」を、「空間」は「心のゆとり」を象徴しているように、感じております。そして、「作品の動き」は「心のエネルギーの動き」なのでしょう。
そんなことを思って、この「まとまり過ぎている」作品を見たとき、私は「あぁ、私は自分にとって大切なことをちゃんと把握できていないんだ。だから全てを徹底的にやろうとしてしまう。だから心にゆとりがなくなってしまうんだ。心のエネルギーが動く余裕が、これでは無いわよね。」と思いました。本当に花は心の鏡だと思います。
師匠がさらに講評を続けているのを聴いている時、私の耳には
- あなたにとって本当に大切なことを大切にしなさい。
- 全てをやろうとしてはダメです。大切なことに集中するのですよ。
- 心にゆとりを持ち、心の風通しを良く保ちなさい。
そして、修正を加えたのが、この作品です。
修正を加えても、やはり私の心の佇まいが見え隠れしているように感じます。
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