2011年10月29日土曜日

術後、どん底に落ちた経験から伝えたいこと


先端巨大症というものに出会ってから既に5年が経ちました。始まりは2006年に、デトロイトから車で帰ってくる時のハプニングでした。いえ、もっと言えば、おそらく2006年初めに伝染性単核球症に罹ったときでしょう。新聞を右目だけで読もうとしたら全く読めなかった、という怖い経験。

本格的に診断名を求め、病院に行き始めたのがその1年後の2007年1月。そして、3月に診断が下され、4月2日にはオペ室にいました。

あの頃のことは今でも昨日のことのように覚えています。ただ、その後のことはあまり思い出したくないんですよね。しばらくは「術後ハイ」で、術前の恐怖感と、手術が無事終了したことに対する喜び、といった感情の大きなギャップの影響で、非常にハイな状態になっておりました。

ところが、いざ「先端巨大症」という現実が迫ってきた時、私の心は壊れてしまったんです。この病気と診断される前に、摂食障害を経験しているので、ボディーイメージの障害で苦しんだ時期もありました。そして、ようやくそれを乗り越えた、と思った矢先の診断が先端巨大症。

あの時の私は、「やっぱり私の外見はおかしかったんだ」と、今までの病的な考えが正しかったことを証明された気分で、本当にやりきれなかったです。

そして、もっと私をおかしくしたのは、あまりに高いお薬代。サンドスタチンLAR、最初の薬局では1本3,600ドル(保険適応前)と言われました。あの瞬間、私は本当に存在を否定された気持ちになり、もう生きていたくない、と思いました

あれからどんどん私の心はおかしくなっていきました。何のために存在しているのか、分からなくなりました。次第に存在していたくない、と思うようになり、自分の外見への違和感・嫌悪感から自分で自分を見放したい思いに苦しめられ、本当に辛かったです。そんな色々な苦悩があって、精神科の閉鎖病棟へも3回も入院しました。

2回目の入院(アメリカ)では夜中にたまらなくなって大声で泣き叫びました。即、お薬で沈静させられましたが、本当はずっとずっと泣いていたかったです。目覚めたら保護室にいました。退院してもすぐにERに戻っては同じことの繰り返し。あの頃の私は、自分が何に悩んでいたのか、分かりませんでした

そんなどん底から這い上がるのに、実に4年かかりました。

私の例は極端な例だと思いますが、それでも、先端巨大症と診断されて深く悩む人も実は結構いるのではないか、と思います。ただ、私はそういった人たちに2つ知ってほしいことがあって、今回、本当はあまり思い出したくなかったことをあえて書くことにしました。

まず、1つ目は、悩んでいるのはあなた独りではない、ということです。現に私もこのように悩みました。仲間はいるのです。決して、この世界でたった独りぼっちだと思わないで下さい

2つ目は、どん底に落ちても立ち直れる、ということです。現に私は精神科のお世話になって、保護室送りになるほど酷い状態でした。自殺未遂も自傷行為も摂食障害もやりました。あんなに心が崩壊してしまっても、それでも何とか立ち直ることができました。なので、あなたもきっと立ち直れる、と私は声を大にして言いたいと思います。

思い出したくないこと、いつも意識の外に追いやっていることを、あえて思い出して書いた記事なのでまとまりに欠けておりますが、これが今の私が仲間の患者さんに伝えたいことです。

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