2011年9月30日金曜日

ラコールとエンシュアの違い

このブログに「ラコール エンシュア 違い」というキーワードで辿り着く人が意外に多いので、今回は、この2つの栄養剤の違いについてもう少し詳しく書くことにします。
静脈経腸栄養年鑑2011を参考に、ラコールとエンシュアの成分について書いていきたいと思います。

① n-6/n-3比
n-6 はオメガ6脂肪酸、n-3 はオメガ3脂肪酸のことです。

オメガ6脂肪酸を多く含むもの
  • コーン油
  • 大豆油
  • 紅花油
  • ひまわり油
  • くるみ
オメガ3脂肪酸を多く含むもの
  • 魚介類
  • しそ油
  • えごま油
  • 亜麻仁油
私たちの体に良いのはオメガ3脂肪酸です。
ですから、n-6/n-3比は低い方が良い(=オメガ3脂肪酸が多い方が良い)、とされています。
さらには、n-6/n-3比が高い食事はうつや炎症性疾患のリスクを高める、という報告もあります(参考)。
また、私の精神科医もオメガ3脂肪酸はBDNFの修復に良いからうつ症状にも有効、と仰っておりました。
医学的に見ても、やはりn-6/n-3比は低い方が良い(=オメガ3脂肪酸が多い方が良い)ようです。

では、ラコールとエンシュアのn-6/n-3比はどのようになっているのでしょうか?
  • ラコール:3
  • エンシュア:44
どうやら、n-6/n-3比だけを見た場合は、ラコールの方が優秀なようです。

② ビタミンK

ビタミンKの1日あたりの摂取基準は下記の通り。
  • 男性 75μg
  • 女性 65μg
そして、ラコールとエンシュアの100kcalあたり(=100mlあたり)のビタミンK含有量は
  • ラコール:62.5μg
  • エンシュア:7μg
ラコール、エンシュアのなんと9倍!
私、62.5μgは若干多すぎるのでは?と思います。
特にワルファリンを服用している患者さんには要注意なんじゃないかな~?と考えております。
というのも、ワルファリンを飲んでいる患者さんにビタミンKはあまり良くないからです。
もっとも、私は薬剤師ではないので、あまり色々言える立場ではないですが。
それでも、ビタミンKだけを見た場合、エンシュアの方が良いように思います。

③ 葉酸

葉酸の1日あたりの摂取基準は男女ともに200μgです。
そして、ラコールとエンシュアの100kcalあたり(=100mlあたり)の葉酸含有量は
  • ラコール:37.5μg
  • エンシュア:0.02μg
どうしてこんなに差があるのか分かりませんが、1日の摂取基準量を考えても、エンシュアの0.02μgは少なすぎだと思います。
葉酸だけ見た場合、ラコールのほうが良いように思います。

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今回、n-6/n-3比、ビタミンK、葉酸に注目しましたが、細かい差は色々あります。
ただ、私から見て、一番重要な差は何か、を考えた時、この3つだと思いましたので、他を割愛させていただきました。

また、私の背景ですが、現場でのMR活動から離れてしまっているMRです。
(きちんと継続教育は毎月受けていますが)

そんな者の戯言ではありますが、少しはご参考になれば幸いです。

参考文献:

<過去ログ>

2011年9月28日水曜日

肉は苦手

人によって「グロテスクな食べ物」は異なると思います。

例えば、私が日本に帰国した時、とてもグロテスクに感じた物の中に刺身、秋刀魚の塩焼き、魚の開きがありました。刺身は「生の魚なんてありえない」という考え、秋刀魚の塩焼きや魚の開きは「魚の死骸」にしか見えず、不気味だった、ということが理由です。もっとも、今は出されれば、こういった物も美味しくいただけるようになってきましたけどね。

しかし、未だに「グロテスクな食べ物」と認識している物に肉類があります。
どうしても、動物を食べることを不気味に感じてしまうんですよね。 肉が食卓に上がると、どうしてもその動物の顔を想像してしまって、食べるのを戸惑ってしまいます。私は肉を「肉」や「食べ物」として認識できず、「動物のご遺体」と認識してしまいます。子どもの頃から、そういった認識だったので、から揚げ、ステーキ、カツ丼、ハンバーグ、ソーセージといった食べ物は「残酷な食べ物」と思っていました。「この豚ちゃん、殺される時、どんな気持ちだったのかな?怖かっただろうな。痛かっただろうな。苦しかっただろうな。」などと考えてしまうような子どもでした。そして今も、そういうことを考えてしまう大人をやっております。

それにしても、どうしてお魚や貝は、そんな苦しまなくても食べられるのに、肉類は食べるのが辛いのでしょう? …とは言っても、出されれば、その命を無駄にしないために、出来る範囲で食べるようにしていますけどね。

2011年9月27日火曜日

チーバくんに会った!

とある週末、ららぽーと柏の葉に行ったら、千葉県のマスコットキャラクター「チーバくん」に遭遇しました!これは元千葉県民の私としては大事件です!!!!



愛らしい…。
チーバくんって、3次元になったほうが可愛いのよね。

思わず追いかけて行って写真を撮ってしまいました。
大の大人(=私)がチーバくんの追っかけをしていたのでした。

2011年9月25日日曜日

祖父のお見舞い

週末、栃木県へ

週末、祖父母の住む栃木県に帰りました。
最近はなかなか帰れていなかったのと、祖父の健康がとても気がかりだったので、今回、帰ることができて本当に良かったです。

祖父は現在81歳。すい臓がんを患っていて、手術をするか否かで、認知症を持っていながらも、本人の中で相当に葛藤があったようです。手術の予約はしたのですが、結局、本人の意思でキャンセル。

その後、8月に入って誤嚥性肺炎を起こし、何日もICUにいました。 難病もち、かつ心臓血管系疾患を持つ祖母は自分の体だけでも大変なのに、とても夫のことが心配で、毎日毎日、祖父の面会に通ったそうです。

その後、なんとか持ち越し、8月の中旬に一般病棟に移りました。

ギャップにショック

祖父は長らく「問題患者」でした。
イライラすると、家族だけでなく、医療従事者にも暴力を振ってしまっておりました。
もともとDV問題のあった人なので、無理もありません。
(若い頃は、良い夫・良い父親だったんですけどね。)

今でも暴言を吐くこともあるとか。
しかし、昨日、お見舞いに行ったとき、私はそんなことはとても想像できませんでした
祖父は、弱々しくベッドに横たわっていました。とてもおとなしい状態でした。
顔は浮腫んでいるのに、布団からはみ出た足がとても細くなっていて、痛々しかったです。
いつの間にこんなに痩せちゃったの?
こんなことになっていたのに、私、来てあげられていなくて本当にゴメンネ。
何もしてあげられなくてゴメンネ。
涙が出そうでしたが、なんとか堪えました。

天使のような笑顔

気を取り直し、私が祖父に微笑みかけると、祖父は私に微笑みを返してくれました。
あんなに優しい祖父の笑顔を見たのは初めてでした。
天使のような笑顔でした。
私は、あの笑顔が見られて本当に良かった、と思いました。
なんだか癒されました。

あの笑顔を見て、ふと子供の頃に一緒に遊んでもらった時のことを次々に思い出しました。
おじいちゃん、本当にありがとね。

しばらくすると、祖父はまた笑顔になりました。
今度は手を振って「バイバイ」をしたので、後ろ髪を引かれる思いをしながらも帰ることにしました。

大泣き

東京に帰ってきて、一人になったとたん、今まで堪えていた私の涙が溢れてきました。
様々な感情が入り混じり、思わず声を出して泣いていました。
おじいちゃん、ずっとずっと会いたかったよ。
おじいちゃん、色々、ごめんね。
おじいちゃん、可愛がってくれて本当にありがとう。
おじいちゃん、大好きだよ。
おじいちゃん、いつまでも一緒にいたいよ。ずっと一緒にいてよ。
おじいちゃん、(認知症でも)私のこと、忘れないでね。
おじいちゃん、また一緒に遊びたいよ。
おじいちゃん、またお話したいよ。
おじいちゃん
おじいちゃん…

2011年9月24日土曜日

とある休日


休日、特に用事が無いと、東京駅や新宿駅に電車を見に行ってしまいます。
上の写真は新宿のサザンテラスから見た総武線(各駅)。



電車の気分ではないと、おとなしく(?)お花を生けています。
とは言っても、電車よりもエネルギーを使う気がしますが。
この写真の作品は、結構大胆に生けてみました。
花材は、あわ、はらん、けいとう。

何もやることがないと、こんな休日を過ごしているのでした。

2011年9月22日木曜日

相変わらず食欲がない。

私は元々よく食べる方ではないのですが、最近は特に食欲が低下しています。こんな状態になってからもう何ヶ月経つでしょう?診療ノートの記録によると、どうやら5月からのようです。

実際に結構困っております。お腹は空くのですが、いざ食べ物を買いに行くと、何も食べたい物が見つからない状態。味覚障害を疑って(実際に自覚症状もあったので)、亜鉛を摂ったところ、味覚の他、体のエネルギーレベル共に改善したのですが、食欲のほうはサッパリ…。

実は、アメリカにいた時の2人の主治医の助言もあって、きちんとマルチビタミンとミネラルのサプリは継続して毎日摂取しているんです。なので、ビタミンが不足して、というのもちょっと考えにくい。

体重も減ったまま。BMI は約19なので、別にこのままでも良いと思うのですが、食習慣が不健康なのは気がかりです。うっかりすると、1日1回(お昼)しか食べないで終わっています。夜とかは食べるのも面倒なぐらい疲れているので、食べないで寝てしまうことも少なくありません。

そういえば、私はもともと、「食べることは面倒で、楽しくないから嫌い」と感じている子どもでした。学校で一番嫌いな時間は体育と給食;特に給食は罰ゲームみたいで、大嫌いでした。今でも食事は面倒に感じますし、楽しい時間ではないです。「対処しなくてはいけないもの」といった認識。

そんなふうに認識してしまっている、食事というものを、(一人暮らしなので)一人でしなくてはいけないわけですから、やっぱりサボりがちになってしまうのかもしれませんね。特に疲れている時は、好きでないことをする気にはなれないですし。

「新しい普通」

前回に引き続き、病気による喪失体験について書いていきます。

Valerie Golden氏は私たちの著書、”Alone in My Universe"の中の"Psychological Aspect of Acromegaly"(先端巨大症の心理的側面)というチャプターの中で、次のように述べています。(306ページ)
先端巨大症を持つ患者さんは、これから先、また普通の生活ができるようになるのか、とよく尋ねます。答えは、もちろんイエスですが、おそらく「新しい普通」といったところでしょう。
さらに先日、心身医療の主治医に言われたことの一つに似たようなことがありました。(辛いから耳を塞いでいたにもかかわらず、結局、聞いていたようです。w)
「人間は、過去との比較によって、過去にとらわれてしまい、前に進めなくなったり、不幸に感じたりすることがあるんです。」
「今までと同じ」ではなくなってしまった今よりも過去のほうが良かった、などと、不健全なやり方で過去との比較をしてしまうのが人間の弱点なんですよね。本当は、どんなに泣いたって叫んだって、私たちが生きているのは「今・ここ」なのに…。

「過去との比較」の世界の住人でいる限り、幸せは見つからないでしょうし、精神的成長も遂げることが出来ないでしょう。だからと言って、ここで私は過去を捨てなさい、と言っているのではありません。

過去が「今・ここ」に存在する自分に、どんな影響を与えているのか、ということを把握しておくことは大切なことです。しかし、そこで止まっていては前に進めないのです。「今・ここ」にいる自分を形作ってきた過去がある;その過去を受け容れた上で、「今・ここ」を有意義に生きよう、と決心できた時、人は前進できるのではないでしょうか?


そう決心した時、もはや「過去の普通」は役に立たないものとなってしまうのかもしれません。そういう時、代わりに必要になるのが、「新しい普通」です。

私たち人間は変化を好まない傾向にありますが、それでも、次第に新しい環境に馴染むことができるのも、また事実です。例えば、引越しをして新しい町に来たら、誰でも最初は戸惑うと思います。それでも、いつまでも「前、いた所は良かった」と家に閉じこもっている人は、あまり居ないですよね。それは、次第に「新しい普通」が出来上がってくるからです。

私たちが病気による喪失を経験した時も、同じことが言えるのではないでしょうか?


<過去ログ>
喪失体験の心理段階
悲しみを感じる強さ、涙を流す強さ

2011年9月19日月曜日

喪失体験の心理段階

病気は様々なことを、その患者さんから取り上げます。私にとっても、先端巨大症は一種の喪失体験でした。

「今までと同じように、精力的に活動できなくなった」
「容姿に対する自信が無くなった」
「大学院を諦めなくてはいけなくなった」
「自分の能力への自信を失った」
「帰国しなくてはいけなくなった」
「『健康感』を失った」

などなど。

病気によって得たものもありますが、その前に失ったものも沢山あるのです。

そんなこともあり、改めて Alone in My Universe の "Psychological Aspects of Acromegaly" (先端巨大症の心理的側面)というチャプターを読み返しました。そこには、大学在籍中、「グリーフ・カウンセリング(喪のカウンセリング)」で学んだ、お馴染みの「喪失体験の心理段階」が示されております。ご存知の方も多いかと思いますが、せっかくなのでご紹介させていただきます。 (そのまま日本語訳させていただきました。)

あきらめ:これは受容とは異なる。この段階では、どうすることもできず、コントロールを失う。

否認:ショック、信じられない、感情の麻痺。「こんなことが自分に起きているわけがない。」

怒り:「どうして私なの?何を/誰を責めればいいの?」

取引:「そうならないためなら、私は何だってするわ。」

抑うつ:「何をするにも、もう疲れてしまった。」あきらめを含むこともある。

受容・適応:「私はこれを受け容れることができる。役に立つ、順応性のあるやり方でコントロールを取り戻すわ。」

(参考文献: Alone in My Universe: Struggling with an Orphan Disease in an Unsympathetic World. 308ページ)

当然ながら、全員がこの6つの段階を順番どおりに1つ1つ経験していくわけではありません。人によってはある段階を飛ばすこともあるでしょうし、また段階を行ったり来たりすることもあります。

現に私も受容まで行き着いた、と思ったら、抑うつに戻ったり、とやっています。一度乗り越えても、何かのきっかけで戻ったりするんですよね。でも、それは退行ではないと思います。私自身、ステップバックした時に感じるのは、今まで、その段階をクリアした時とは異なる視野・視点をもって取り組んでいる、ということです。 そして、同じ段階をクリアしただけなのに、以前よりも成長していたりするんです。面白いものですよね。

こういった段階を知識として知っておくことは、自分(や周囲の人)のことを理解するうえで大切なことだと思います。たとえば、自分がちょっとオカシイ、と感じたとき、「あぁ、今は『怒り』のステージか。」などと分かれば、自分の問題にラベルすることができ、気持ちが楽になる、というのもあると思います。

<過去ログ>
悲しみを感じる強さ、涙を流す強さ

2011年9月18日日曜日

悲しみを感じる強さ、涙を流す強さ

倦怠感を無視して突っ走ったら痛い目に

今日は1日寝込んでいました。
木曜日にサンドスタチンLARの投薬があってから、ずっと倦怠感を我慢し、ごまかしながらやっていたら、今日になって体が悲鳴を上げてしまいました。実は昨日、ものすごくめまいがする、と思っていたのですが、必要に駆られ、ちょっとばかり精力的(?)に活動してしまったのが良くなかったようです。今日はさらにめまいが酷く、日中はずっと寝ていました。夕方になってからベッドから這い出て、夕礼拝へ。讃美歌を歌っている時、とても苦しくて駄目でした。
ε=(-ω―;)フーッ

今夕の礼拝で

今日のお説教の内容は、「悲しい時は悲しみを感じる強さ、涙を流す強さを持ちましょう」といったもの。グリーフ・ワーク(喪の作業)のお話の大切さなどをお話されました。聞きながら目がウルウルしてしまいました。

実は木曜日、心身医療の診察の際、主治医が難病と共に生きることに関して何かとても大切なことをおっしゃったのですが、なぜか私は涙が出そうになってしまい、「そんな強くなれません」と途中で聞くのをやめてしまったんです。なので、当然覚えていないのですが、何やら「辛い病気を持っているけど、それを受け入れて精一杯生きていく」みたいなことをおっしゃっていたように思います(結局、少しは聞いていた…)。

いつもは「精一杯生きていく」のほうには意識を向けますが、「辛い病気を受け入れる」の部分は無視してしまうことが多いです。「考えても何も変わらない。」「考えても悲しいだけ。悲しんだり、泣いたりするのは面倒くさい。」という気持ちが壁になってしまい、どうしても病気の辛さを一人称で考えることができないでいます。自分のことでも、他人のことのように考えたり話したりすることならできます。病気という事実と自分の心の間に距離ができるからです。このように、私は自分のことも他人事のように考えてしまうことがあります。感情や気持ちが、まるで自分のものではないかのように感じるのです。

ジョン・レノンの How? の中に

そんな中、昨日からジョン・レノンの How? という歌の歌詞が心に引っかかっております。
How can I have feeling when I don't know if it's a feeling?
How can I feel something if I just don't know how to feel?
How can I have feelings when my feelings have always been denied?
Oh no, oh no
それが感情なんだ、ということが分からない時、どうやったら感情というものを抱くことができるのだろう?
何かを感じることができないとしたら、どうやったら何かを感じることができるのだろう?
気持ちをいつも否定される時、どうやったら気持ちを抱くことができるのだろう?
オーノー、なんということだ。
耳にこの歌詞が飛び込んで来た時、「これは私のことだわ…」と雷を落とされた心地がしました。自分の感情がわからない、感情を感じとることができない、自分の感情ですら否定してしまう…。なんだか心が麻痺したような感覚にとらわれることが実は結構あります。まさに Oh no! です。

「喪の作業」をしてこなかった

辛いことを思い出そうとすると、映像としての思い出はあるのですが、そこに気持ちは存在しないんです。いえ、正しくいうと、気持ちは存在するのですが、それに触れることができないのです。 それは真に触れられないから、というよりも私の心が触れることを拒絶しているんですよね。「あんなものに触ったら、辛い気持ちになってしまうし、泣いてしまうかもしれない。そういうのって面倒なのよね。」と考えてしまいます。

悲しみに触れるのは確かに膨大な心的エネルギーを使うように感じます。だから面倒なのですが、それを疎かにしていては、いつまでたってもその思いは浄化されずに心にとどまってしまいます。私の場合、実際そうなんだと思います。

たとえば、異国の地で先端巨大症と診断され、怖い手術をうけ、髄液漏に苦しみ、ということがありましたが、その苦しみ・悲しみを吐き出す時間と場所をきちんと設けないで今まで来てしまいました。無理して「ポジティブに笑顔笑顔」を演じ続けた結果、あまりにも重過ぎる代償を背負ってしまいました。同様のことが精神科領域のことでも起こっているように思います。

心も体も同じ

冒頭に戻りますが、今回の投薬後、私は我慢・ごまかしによって2日間どうにかやり過ごしましたが、3日後にしわ寄せがきてしまいました。体が動かなくなって寝ているだけになってしまったのです。これは、身体の話ですが、実際には心も同じだと思うのです。

悲しみなどの辛い感情があっても我慢し、ごまかすことでしばらくはやり過ごせるでしょう。しかし、いずれは心が悲鳴を上げてしまいます。それは様々な形をとって現れます。私の場合、抑うつ状態になったり、感情を感じられなくなったり、離人症的になったり、という形で現れました。

こう考えると、心も体も同じようなものだな、と思います。

悲しみを乗り越えるには

「喪の作業」をするのに、別に専門のカウンセラーが必ずしも必要、というわけではない、と私は考えています。ただ、「喪」について話す強さ良い聞き手は必要です。 

特に聞き手に関してですが、その人の感じる感情を否定せず傾聴し、エンパワメントしてくれるような人の存在はとても大きな助けになると思います。

勇気を出して話してみる;そして人に受け容れられられ、エンパワメントされていく中で、悲しみは癒されていくのではないでしょうか。そのためには、当事者側の「悲しみを感じる強さ・涙を流す強さ」も必要なんだと思います

<過去ログ>
「精神科医が見た被災地とこれから必要になるケア」を読んで

下垂体関連のイベント

10月15日(土):下垂会 総会&講演会(東京都)

午後から、虎の門病院の3階講堂で開催。
今回は、女子医大の三木伸泰先生による「下垂体機能低下症のホルモン補充療法:副腎皮質ホルモン(コルチゾール)を中心に」(仮題)という医療講演会があります。
山田正三先生の一問一答もあり、盛りだくさんだと思います。

三木先生の説明もとても分かりやすいので(参考)、今回の医療講演、お勧めです。


10月10日(月・祝): 医療講演・相談会(京都府)

京都大学の金本巨哲先生による「ホルモンとその疾患について:間脳下垂体と甲状腺」という医療講演があります。


2012年

6月8(金)~10日(日):It's About The Community

来年の研究集会の日程が既に決まっております。
場所はまたラスベガスです。


 <過去ログ>
東京女子医科大学 第27回公開健康講座-その3

2011年9月17日土曜日

サンド投薬後、今回も大丈夫だった!

9月15日(木)にサンドスタチンLARの投薬がありました。
まだ注射部が痛いです。(ノ_-;)
体もダルイ…。
でも今回は消化器系の副作用はありませんでした。

そして、抑うつ症状再燃も無し!!!
これでサンドスタチンLAR投与後の抑うつ症状再燃/悪化なしは今回で2回連続となります。(参考)素晴らしい!やはりエビリファイが効いているものと思われます。

精神科領域の症状の再燃や悪化が2回連続で無かったので、次第にサンドスタチンLARの注射に対して、以前よりも前向きな気持ちになってきました。

このまま行けば、来月も大丈夫かしら?とちょっと期待。
ο(‘ v‘ )ο~♪



しかし、


・・・

・・・・・・


体、ダル過ぎ!!~(×ω×)~


<過去ログ>
エビリファイのお陰で

2011年9月14日水曜日

「精神科医が見た被災地とこれから必要になるケア」を読んで

東日本大震災で医療上、問題となったのは慢性疾患でした。

報道などでご存知かと思いますが、今回の被害は津波によるものが多かったこともあり、外傷への対応はDMATが想定していたよりも遥かに少なかったそうですよね。(例:現場レポート9参照) そして、代わりに求められていたのが慢性疾患の継続治療でした。高血圧や糖尿病がテレビではクローズアップされていたので、皆さんもよく覚えていらっしゃるかと思います。

 この「慢性疾患の継続治療への備えが不十分だった」というのは実は身体科領域だけではありませんでした。精神科でも似たような状況だった、と私は理解しております外傷(ASD、PTSD といったストレス障害など)への対応よりも、慢性的な精神疾患(統合失調症など)の対応に関するの意識・備えが行政が想定する以上に必要だったのでしょう。。

このことに関してとても参考になったのが、ナーシング・トゥデイの8月号、33~35ページに掲載の「精神科医が見た被災地とこれから必要になるケア」(大下隆司 氏)でした。大下隆司先生のバックグラウンドがとても興味深いのですが、先生は阪神・淡路大震災の被災者であると同時に、阪神・淡路大震災の時も、今回の東日本大震災でも医療支援を行っている精神科医だそうです。そんなこともあり、今月号の中でも特に心に訴えるところがあったのが、この記事でした。

その中で、大下先生は、震災時に特に支援を必要としていた人について
私たちが往診し、そして、ときに入院させなくてはならなかったのは、精神科治療歴のある人が大多数で、・・・
 と述べております。これ、とても重要なポイントなのですが、実は案外知られていないのではないでしょうか?

また、最近の行政やメディアが取り上げる「心のケア」という言葉に関して
災害があり、人が死に、住まいがなくなり、心に大きな傷を負った。その傷を癒すには、まず、安心して住める住居が確保され、経済的にも安定した生活が送れるようになり、その後にようやく心のケアが可能となってくるのではないでしょうか。
と問題提起されております。

これを読んで、私もなんとなく行政が責任転嫁しているように感じてしまいました。どういうことかと言うと、復興支援などの政策をたてることで被災者の不安を和らげる責任が少なからず行政にはあると思うのですが、そこから目線をそらせるため、「心のケアが必要」などと(適当なこと?を)言って、精神科医などに被災者の不安を落ち着かせる責任を丸投げしているような印象を受けた、ということです。しかし、マズローの欲求段階説ではないですが、生活のベースが守られていない状態で心が落ち着く人なんていないんですよね。

そんな中、大下先生が考える「心のケア」について、先生は次のように表現されております。
人間は受け容れられていると感じることで回復していける生き物です。人間の回復していく力を引き出し支える、エンパワメントする、それが私たちの心のケアであり、長期継続的に必要なケアではないでしょうか。
 この記事の中で私が最も気に入った箇所です。

今回、「心のケアの専門家」と言われる人たちについて、被災者の方々から、「アンケートして帰っていっただけ」「せっかく前向きになろうとしているのに、どうして傷を掘り起こすの?」といった声もありましたよね。それは「ケア」ではなく、「自称専門家の自己満足」に過ぎない、と私は考えております。

災害時、本当に必要とされる「心のケア」は、そういった自己満足ではなく、まさに大下隆司先生の考える「心のケア」なのではないでしょうか。

お薬のアドヒアランス向上にこんなことも

サンドスタチンLARを除いた、私の服用中のお薬リストは
  • ヤーズ配合錠AM
  • ストラテラ(35mg)AM
  • エビリファイ(1.5mg)就寝時
となっております。

この中で1つだけとても困っているお薬があるのですが、どれだか分かりますか?




↓  ↓  ↓




↓  ↓  ↓




↓  ↓  ↓








エビリファイ(1.5mg)就寝時 です。

6月からかなり頑張ってきましたが、最近になってコンプライアンスがちょっと問題に…。
エビリファイ、私の場合、眠くなるから就寝時の処方なんです。(参考
ところが、近頃、疲労感が強いため、エビリファイを飲む前に気付くとパタリと寝てしまっているんです。

そこで、 「どうすれば良いのかしら?」と作戦を練りました。
結果…


AM服用に戻すことにしました。(もとはAMでした)
「どうせ、朝飲んでも夜飲んでも眠いんだから、朝で良いんじゃない?」
という根拠。

そうしたら、とても服薬が楽になりました。
情けないことなのですが、私はお薬の服用は「朝一回だけ」でないと非常に困難なんです。
特に「就寝前」という処方は大の苦手!
そう考えると、自分でも、6月から本当によく頑張ったと思います。
ただ、苦手なことはなかなか続かない…。そして、エビリファイの就寝前の服用も例外ではありませんでした。

それでも自分なりに工夫をして、きちんとお薬を飲めているからでしょうか?精神的にとっても落ち着いていますよ。

私にとって、アドヒアランス向上には服薬の時間&回数は重要な鍵となるのでした。


<過去ログ>
エビリファイ3日目

2011年9月11日日曜日

6ヶ月を経て;10年を経て


今日でアメリカ同時多発テロ9.11から10年、そして東日本大震災から6ヶ月となります。

2011年3月11日。
あの日の記憶、なるべく思い出したく無いからでしょうか、実は曖昧になっております。
ただ、忘れられないこともあります。
  • JRの駅に設置されたテレビで見たショッキングな映像の数々
  • 映画の世界みたいで、現実感が全くわかなかったこと
  • 直線距離12kmをヒールで歩いて帰宅したこと
  • 風がとても冷たく、途中、何度も帰宅を諦めようとしたこと
  • 帰宅後も、疲労感や不安、孤独感のあまり泣き出したかったけど、涙が1滴も出なかったこと
  • 疲れているのに余震で全く眠れなかったこと
  • 大切に思っている人の安否が心配で胸が張り裂けそうだったこと
現実感がわかなかったのは、2001年9月11日も同じでした。
私はあの日、ニューヨーク州の短大にいました。
校舎の入り口付近に設置された数台のテレビの前に人だかりがありました。私もそこにいて画面を見ていました。「これは映画?何が起きているの?」まだ英語が良く分からず、状況が飲み込めませんでした。泣きながらハグをしている人たち、涙を流して固まっている人,呆然と立ち尽くしている人などが私の周りを取り囲んでいました。

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そんなダブルの記憶がつらくて、今日は読書に没頭しておりました。
あんまり考えない方が良い時や、考えない方が良い事だってありますよね、きっと。
(なんて書いていたら涙が出てしまいました。)

2011年9月10日土曜日

PTSDを防ぐお薬???

PNA (Pituitary Network Association) の9月のニューズレターに面白い記事がリンクされていたのでご紹介します。

イスラエルの研究員がPTSDの緊急予防薬を開発

まずは背景
「うつ病や統合失調症は徐々に発症するもので、ある時突然なるものではない。しかし、PTSDに関しては心的外傷となる出来事への反応として起こる。」
心的外傷後、投薬することでPTSDの発症を防ぐお薬を開発しよう、ということです。言うなれば、原文の題名通り、「緊急避妊薬のPTSDバージョン」といったところでしょうか。

今までの治療法は?
最近までは心的外傷に対してはValium(日本ではセルシン、ホリゾン)などのベンゾジアゼピン系の安定剤を投与するのが一般的だった。
今でも日本はそうですよね。しかし、これはあまり良くないそうです。
こういった薬剤でリラックスできる効果があるものの、これらの薬は体内でのコルチゾール分泌を遅延させる。
これが問題のようです。動物実験によると、このような反応が起きると、体のPTSDに対する防御能力が減少してしまう、ということが分かっているそうです。そんなこともあって、米国の医学団体はベンゾジアゼピン系薬剤を外傷後のストレス症状緩和に使うことを避ける方向付けをしている、とのこと。へぇ、そうなんだ!

実験について

今回の被験者は24人。交通事故で生き残ったものの、ストレス症状の出ている人たちです。
  • Aグループ:(12人)コルチゾール100mgを外傷後6時間以内に1度だけ注射 
  • Bグループ:(12人)プラセボ(偽薬)
そして、結果は下記の通り。
  • Aグループ:1ヵ月後、1人がPTSDと診断された。3ヶ月後、PTSDの兆候を示す被験者はいなかった。 
  • Bグループ:3人がPTSDを発症した。
つまり、外傷後、ストレス症状がある人にはコルチゾール(100mg)の投与が有効かもしれないわけですね。
この実験ではコルチゾールが注射剤でしたが、錠剤では駄目なのか、という研究もこれから行うそうです。

なぜ外傷後6時間以内?

この「6時間」という時間は、外傷の記憶の定着にかかる時間だとか。
感情の記憶が定着しなければ、後になってPTSDが発症することはない
なるほど。記憶が植えつけられてしまう前にコルチゾールを与えることで、体をストレスから守る、ということなんですね。

論文はいつ出る予定?

今年の12月に出る予定らしいです。ジャーナルは European Neuropsychopharmacology
まだまだ実用化には時間がかかりそうですが、導入されたらかなり画期的ですよね。


2012年の手帳購入!

今年は早めに来年の手帳を購入しました。
ようやく自分にシックリくる手帳が見つかったので、1週間悩んだ末に結局買ってしまいました。

手帳って「生きていよう」という意思がないと買えない物だと思うんですよね。実際に休職中、抑うつ状態で死んでしまいたかった時は手帳なんかに興味はありませんでしたし。それが、今年は1月始まりの手帳を早々に準備しているので、いい兆候のように思います。すでに来年が楽しみです。

あと、去年はあまり考えず、とりあえず「使えるもの」「無難なもの」を買ったのですが、今年は「自分が気に入ったもの」を選びました。こんな所にも心の変化が現れているのかな?と思います。


2011年9月7日水曜日

難病サポート手帳

今日、お家に帰ってきたら、保健センターから郵便物が届いていました。「なんだろう?」と開けてみると、「難病サポート手帳」なるものが。

なんでも、大地震などの緊急時に難病患者が必要な治療を継続することができるように作成したものだとか。

とてもコンパクトでお財布や手帳に入れておくことができ、とても便利です。 
これ、情報の更新などで新たなものが必要になった時はまた貰えるのかしら?

あと、自立支援の患者さんにも似たような手帳が行くといいと思います。
(私も自立支援の受給者証、持っております)

私は緊急時は内分泌よりも精神科の治療のほうが大変になるので。

難病も大切ですが、精神科の患者さんも大切にしてくれるといいな。





2011年9月6日火曜日

「精神科主治医はどうやって見つけたの?」

タイトルのような質問をされること、結構多いです。そうすると、答えにちょっと困ってしまうんですよね。

私は内分泌内科の主治医と脳下の主治医は自ら選んだわけですが(脳下に関しては内分泌の先生の紹介もありました)、精神科に関しては選びませんでした。というか、今かかっているお医者さんの中で実は唯一「自分で選ばなかった医師」なんです。

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2008年1月に帰国した当時、精神科を探す気力がありませんでした。内分泌で検査入院中、リエゾンのN先生に2月1日にお世話になりました。精神科に関しては、これが(日本での)私の初診日です。広い待合室に私だけピンクのパジャマ姿で診察を待っているのがとても嫌でした。

いよいよ名前を呼ばれ、初診の診察室に入っていくと、N先生のほか、たくさんの(おそらく)研修医がいて面食らいました。先端巨大症で「見世物」化されていた時よりも威圧感を感じてしまい、正直、逃げ出したかったです。

2度目の診察は退院後の2月14日、バレンタインデーでした。診察室に入っていくとN先生とは違う先生が。日本の大学病院の「初診の医師が引き続き診るとは限らない」という事実を知らなかったので、これまたビックリ。この精神科医が今の主治医のO先生でした。

じっくりとこのお医者さんを観察すると、この間のN先生よりも大らかで明るい印象でした。「アメリカにいたんですね。こちらこそ色々と教えてほしいです。」という謙虚な姿勢に感激したのを覚えています。ただ、同時に「な~んか、この先生のペース、私に合わないなぁ。」と思ったのも事実です。というのも、結構のんびりした感じだったからです。当時の私はとても神経質でしたので、このO先生のペースにはイライラしてしまうことも多々ありました。

そういった要素もあったせいか、O先生にはなかなか心を開くことができませんでした。実はO先生には「もう来ません」宣言すらしたことがあるんです(酷い話ですよね…)。そんなことがあった後も快く診て下さった先生が…これまたO先生でした。本当に主治医泣かせの患者だ、とあの時ばかりは深く反省したものです。

その後も色々な「きっかけ」や「事件」を経て、私は少しずつ先生に心を開くようになりました。それにしても、正直、「自分で選ばなかった唯一の医師」 にここまで信頼を寄せるようになるなんて、2008年当時は考えも及びませんでした(とまた、先生に失礼なことを!)。そのことを、実はご本人にお話したことがあります。冗談っぽく、「選ばなかった医師が、大当たりでした。」 と。今、振り返ってみると、改めて不思議な巡り合わせだと思います。

2008年2月から1年近く、「この先生のペース、私には合わない」と思っておりましたが、今では「O先生ぐらいの大らかさを目指してみようかな?」と思ったりしております。まだまだ先生のレベルに到達するのに何年かかるか分からないですけど…。そして、あのO先生のペース、最近では「癒し」になっております。自分で「合わない」とか言っていたのに、まったく不思議なものですね(爆笑)。


2011年9月4日日曜日

子どもの精神医療は教育現場から


今日はABBAとカーペンターズを聴きまくっております。
カーペンターズのアルバムは "A Kind Of Hush" が今日のマイブーム。
実はリチャード・カーペンターはこのアルバム、カーペンターズのアルバムの中では1番気に入らないそうですが、私にとっては実はお気に入りです。レコード時代のジャケットのアートワークも素敵ですし、私好みの歌ばっかり。

中でも "I Have You (愛のキャンドルライト)" は私の中学時代からのお気に入りでした。
そして、この歌をリピートで聴いているうちに中学時代のことをふと思い出しました
Sometimes
After all you've done to save me
Through the love you freely gave me
Every step along the way
Sometimes
People ask what keeps me going
And in truth, it comes from knowing
I have you to save my day

時々
あなたはとにかく私を救ってくれるわね
惜しげなく私に愛を注いで、
一歩一歩を支えてくれて
時々
どうやって私は歩み続けることができるのか尋ねられることがあるの
それはやっぱり、私にはあなたがいるから
それだけで私の1日1日は救われるものになるのよ

中学3年生だった当時、私が自殺をせずに何とか生きてこられたのは3人の先生のお陰でした。アメリカ人で英会話教諭のT先生;担任で英語教諭のY先生;そして家庭科のO先生。(中高一貫で、大学院まである学園に通っておりました)

この3名の先生は私の体の異変にすぐに気付き、なんとか医療に繋げようとして下さいました。当時の私は危険なほど痩せていました。これで成績が悪くなれば親も心配したのかもしれませんが、優等生でしたので、「心療内科にかからせる」という発想は親には皆無だったんだと思います。(優等生なのと、精神科や心療内科は関係ないのですが、そういう考え方が両親にはできなかったのでしょう。)

そんな中、クラスメートで拒食症で入院した子がいました。その影響で、私はますます精神的に不安定になっていき、とうとう160cm、34kgに突入。それでも先生方は、以前までの態度を変えることなく、とにかく私を支えて下さいました。 「肩の力を抜いて、気楽に構えていて良いんですよ」と事あるごとに言って下さいました。そして、高校に上がってようやく養護教諭を通して校医さんに診ていただくことができたので、最終的には医療に繋がりました

この養護の先生と校医さんには卒業後もお世話になり、今でもとても尊敬しております。ただ、ここに行き着くまでに、何とか私の命を守ってくださったのは学校の先生方でした。

このように振り返ってみますと、教師の偉大さに圧倒されます。考えてみたら、中学生・高校生になると、親よりも教師の方が子どものことをよく見ることができているのかもしれません。あの頃の私も、家族と顔を合わせるのはピアノの練習の前後と食事の時ぐらいでしたし。そういったことを踏まえて、子どもの精神医療は教育現場からすでに始まっているのかな、と考えました。

そして、そこで始まるだけではなく、そこでメンテナンスされていくんですよね。医師と会うのはせいぜい週1回。学校の先生とは週末以外は毎日会います。つまり、子どもの精神医療は教育現場から始まって、教育現場で維持されていく、といったところでしょうか。そう考えると、本当に教師という仕事は大変で大切なお仕事だと思います。それでも、私のように確実に救われた生徒もいるので、学校の先生(、そしてもちろん、数少ない「子どもを診る精神科医」)には頑張ってほしいです。


初めての採血の思い出

先端巨大症と診断されるまでの私は採血がとても怖かったのを覚えています。
それも、記憶にある中で始めて採血をしたのは「目が見えにくい」「生理が来ない」と主治医に言った時。主治医はプロラクチンの検査をオーダーしました
医師のアシスタントから「血液検査」と聞き、一気に不安になりました。針が怖かったからです。
とーっても重い足取りで、地下の採血室へ向かいました。

私の採血を担当したのは、若い男の子でした。ちょっと可愛らしい感じ。
しかし、その可愛い男の子のことはどうでも良くなってしまうような物が目の前に現れました。(実際に彼の顔は良く覚えていません)
採血ホルダーで、先端には18G(ゲージ)の採血針が!
その太い針を見た瞬間にパニックでした。
「えっ、こんなに太い針なんて無理~」と大騒ぎ。

パニックになっている私を見ると、「深呼吸して。大丈夫だから。」といって何かを持ってきました。それは、星の形をした手のひら大のリラックスボールでした。彼はそれを採血する側の私の手のひらにのせまして言いました。
「これを手でギュッと握ってね。検査なんてあっという間に終わっちゃうよ。大丈夫、僕はこれ(採血)に関してはプロだから。」
そして、本当にあっという間でした。思ったほど痛くありませんでした。

今ふり返ると、「採血ごときでww」と苦笑してしまいますが、私はあの時の気持ちを大切に覚えておきたい、と思っております。

病気との「共存生活」が長くなってきて、健常者が採血や注射で「いや~」「こわ~い」と大騒ぎしているのを見ると、「なによ、そのくらいで」と思うことが多くなってきていることに最近気がつきました。でも、そんなことを思っている私だって、初めは同じだったんですよね。

病気のおかげで精神的に強くなっていくのは良いですが、優しさを忘れないよう心がけたいものです。


2011年9月3日土曜日

いつの間にか

処方がとてもシンプルに

精神科のお薬、現在の処方は下記の通り。
  • ストラテラ(35mg)
  • エビリファイ(1.5mg)
たったこれだけ。
気がついたらSSRIもベンゾジアゼピンも無くなって、こんな綺麗な処方になっておりました。

主治医は、「薬は常に引き算で考えることが必要」とおっしゃっている方なのですが、その考えが処方によく反映されているように思います。 (と生意気発言!)

離脱症状は ほぼ皆無だった

どのお薬も止める時の離脱症状で酷く苦しんだ、というのがありませんでした。せいぜい、あっても軽い頭痛ぐらい。リボトリール、ワイパックス、エバミール、ジェイゾロフトといったお薬をほぼ同時期に止めているのですが、全然大丈夫でした。

ジェイゾロフトに関しては、主治医に強く断薬を勧められた、という背景があったにもかかわらず、断薬は不安でした。1年以上も飲んでいたお薬ですから。それでも、そんな不安とは対照的にすんなりと止めることができました

患者の「やめたい」と医師の「いらない」

私個人のケースについて:

患者である私が「このお薬、止めたい」と思っている時は、実はあまり病状が良くないときであるような気がします。「ワイパックスをやめたい」「メイラックスをやめたい」「眠剤を飲みたくない」など、本当に数々のわがままを言ってきました。私がこのような「やめたい」発言をしている時は、間違いなくそれらの薬を止めるべき時期ではなかったのでした。

それに対して、主治医が「そのお薬、もう『 い ら な い 』」とおっしゃる時は、逆に私は「えぇ、本当に大丈夫なんですか~?」と心配に。主治医から「いらない」発言が出る時は、「このお薬のおかげで私は調子が良いんだ」と強く信じている時期なので、私はなかなか断薬に乗り気になりません。しかし、私が問診に協力的になってからは(元々は非協力的でした)、主治医が断薬指示を出した時は、どんなに私が断薬が不安でも、すんなりとやめる事ができております

…患者の「やめたい」と医師の「いらない」は一致しないものなのでしょうか?
なんだか、ちょっと面白いな、と思ったのでした。


2011年9月1日木曜日

気分障害の血液検査?

BDNF(Brain Derived Neurotropic Factor = 脳由来神経栄養因子)という物質は神経細胞の成長や修復に使われる大切なタンパク質だそうです。これは、知り合いの精神科医に教えてもらいました。このBDNFが減ると、ダメージを受けた神経細胞に修復のための栄養が行かないため、気分障害(双極性障害も含む)や不安障害などの症状が現れるようになる、と説明してくれました。

そんなこともあって、ここ1年半ぐらいBDNF関連で
「英語の文献?僕のBDNFが減っちゃうよ。」
「仕事のしすぎでBDNFが減りますよ。」
などとインサイド・ジョークを言っておりました。
そうしたら、こんな記事が昨日m3に!

 うつ病を血液で診断 客観指標を発見 広島大が世界初
神経細胞を成長させるタンパク質の一つ、脳由来神経栄養因子(BDNF)の遺伝子に起きる「メチル化」という化学反応の程度を調べる。
グループは北海道大や名古屋大、大分大などから、うつ病患者20人と、うつ病でない18人から血液の提供を受け、BDNFを作る遺伝子の三十数カ所のメチル化を解析した結果、患者特有のパターンが見つかった
とても画期的だと思います。

今まで「目に見えない病気」で問診しか診断方法がなかったため、患者さんの中には、なかなか周囲の理解を得られずツライ思いをしてきた人も多いのではないでしょうか?私も「『うつ』って結局、気合の問題なんじゃない?」なんて言われて傷ついたことがありました。「本当に体が動かないのに、どうして分かって貰えないの?」と悲しい思いになったことが何度もありました。

これからBDNFが診断ツールの1つとして使用されるようになって「検査結果が目に見える病気」に変わってきたら、国民の気分障害に対する見解が変わってくるかもしれませんね。