2011年4月28日木曜日

事務連絡(アメリカ行きに際して)

いよいよ明日、4月29日に成田空港からアメリカに向かいます。帰国は5月9日です。

「せっかくの旅だし、パソコンを持っていくのも。。。」と思っているので、パソコンを置いていく可能性大です。 (しかも、私のノートブックは無駄に大きいので)
また、ホストファミリーのお家のパソコンは日本語がサポートされていないので、読むことも打つこともできません。英語ならOKなんですけどね。

ので、ブログのアップとメール返信は帰国してからになるかと思います。
10日間、アメリカにいますが、存分に楽しんできます!
皆さんも良い連休をお過ごし下さいませ。

美味しかった南相馬市の農産物

先週末、有楽町の交通会館で福島県や茨城県などの農産物が販売されていました。
この日、特に私の目を引いたのは南相馬市
母とはしゃぎながらミニトマト、きゅうり、みつば、卵などを購入。

卵は産み立てだったので、その日のうちにまず1つ目を生卵ごはんに使いました。

みつばも香りがとってもよかったです。卵丼に使いました。

ミニトマトときゅうりも、とってもおいしそうで、味付けするのがもったいなくなってしまい、そのままいただきました。

全部、本当に美味しかったです。
普段、買っている物よりも鮮度がよく、野菜もみずみずしく、香り・味がしっかりしていて、久しぶりにあんなに美味しい野菜を食べました

それなのに、価格がとても安かったです。私が普段買っている野菜の2/3よりも安いぐらいの値段でしたよ。風評被害の影響なのでしょうか?それでも、品質はとにかく最高でした。(「最高」以外に、うまく表現できる言葉が見つかりません。)

私は、子供のころからトマトが大好物なのですが、あの南相馬市のミニトマト、本当に美味しかったです。「これぞ、まさしくトマト!!」といった感じ(←意味不明)。

(*´ー`*)ごちそうさまでした。
また食べたいな。ο(‘ v‘ )ο~♪

2011年4月25日月曜日

ミシガンに「帰省」

連休中、久々にアメリカに帰ります
アクロメガリー・コミュニティーのミーティングが5月6~8日にラスベガスで開催されるので、ついでにミシガンに「帰省」することにしました。

とは言っても、ミシガンまで行くとなると、航空券だけでも大きな出費。それでも、アクロメガリー・コミュニティー初のミーティングに参加するに際して、どうしてもミシガンは行かなくてはいけない、と感じております。アメリカの中では、ミシガンは私が一番長く住んだ場所ですし、何より「先端巨大症(アクロメガリー)の患者」としての1歩を踏み出した場所なんです。脳下垂体の腫瘍摘出手術もミシガンで行ったので、やはりミーティングの前に原点に戻りたい、という強い思いがあります。

また、先日出版されたAlone in My Universeの私の書いたチャプターの舞台もミシガンです。チャプターの中に出てくる、あのリンにも会うことが決まっております。お世話になったお医者さん方にも是非お会いしたいので、現在調整中。インドネシア人の親友のお家でパーティーもあります。あの手術の時、私を支えてくれた友人がたくさん集まる予定です。

あのオペから今月で丸4年。
4年の月日が流れた今も、私の心はミシガンにあります。(My heart still belongs to Michigan.)

今でも母校のFight Songが、私の心の中で流れています。


2011年4月24日日曜日

Happy Easter!!

復活祭、おめでとうございます!

ようやく今年もイースターを迎えましたね。
今年は、受難節の時期と大震災が重なったので、このイースターを、例年よりも特別な気持ちで迎えたクリスチャンも多いことと思います。

今日の礼拝のお説教の中で、「受難は、受難には終わらない」というメッセージがありました。イエス様の受難は、単なる受難には終わらず、確かに私たちに神様の栄光をお示しになるものとなりました。今回の震災で辛い思いをしている方々の不安や苦しみだって、単なる苦痛で終わるものでは無いはずですよね。その先には必ず希望があるはず、と私は信じています。

そして、もちろん、自分自身の病気も単なる苦難で終わるわけではない、と確信しています。暗いトンネルの先には必ず光があるのですから。

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
 (ヨハネによる福音書9:1~3)


皆さん、一人ひとりが希望の光で照らされますように。

2011年4月23日土曜日

チラーヂン、不足の事態? ③


ご存知の方も多いかと思いますが、甲状腺ホルモン薬、チラーヂンの同等品である「レボチロキシンNa錠50μg」が緊急輸入され、全国への出荷が予定通り、今週4月19日(火)に開始されました。

なお、チラーヂンを作っている、あすか製薬の工場が福島にあるので、放射線の影響を心配している方も多数いらっしゃるかと思いますが、心配は無い、とのこと。(参照-PDF

まだ「原則1ヶ月処方」の縛りはありますが、これで少しは患者さんたちもホッとしているのではないでしょうか。

チラーヂンについてのお知らせは、あすか製薬のサイトに詳しく掲載されていますので、そちらをご参考にして下さい。

《過去ログ》

「10ヶ月前の宿題」の答え

一昨日は心身医療の予約外来でした。
何日か前のエントリーでもお話しましたが、私は10ヶ月ほど前に、「自分の(精神科領域の)診断名を検討する」という宿題を主治医から与えられていました。(参考)その答えがようやく出たので、診療の際に先生に訊いてみました。「もしも当たっていたらショックだな。」なんて思いながら、「先生、わたしの診断はコレですか?」と。

結果は…。


私の答えは正解でした。
でも、予想していたほどのショックは受けませんでした。
「あぁ、やっぱりな。」というレベル。
おそらく、この10ヶ月の間、色々と考察するうちに、心の準備ができたからでしょうね。

残念なのは、私の身体疾患のせいで、その第一選択薬(とアメリカの大学で教わった)が使えないこと。色々と考慮に入れると、有効と思えるお薬が1つあります - エビリファイです。ただ、このお薬の服用は今まで、あまり乗り気ではなかったんですよね。

アメリカで入院中に初めてAbilify(20mg)を処方された瞬間に「もしかして…」と思ったのですが、「いや、(そんなことは)無いでしょ。あったにしても、そんな診断名、絶対に認めない!」と思ってしまったのです。とにかくあの時、自分にAbilifyというメジャートランキライザーが出されたことがショックでした。

なので、帰国後も、「メジャーは飲みたくない。」「メジャーを飲む必要性・妥当性を感じない。」という思いが強く、O先生にメジャーを出された時は抵抗しました。処方に納得できていなかったので、副作用にばかり目が行ってしまい、結局続きませんでした。

しかし今回、診断名が明らかになり、自分自身、その診断を受け入れることができたので、私もエビリファイを前向きに考慮するようになりました。「先生、私にエビリファイの少量を使うことを、どうお考えですか?」と尋ねてみると、「僕は『あり』だと思います。」というハッキリとしたご回答が。

エビリファイ、そのうち試してみるかもしれません。


≪過去ログ≫
10ヶ月前の宿題
病院に行って来ました(心身医療・予約外)

2011年4月21日木曜日

115系、大好き♪



4月に入ってから人事異動で、私がお世話になっている部署に新たなメンバー(役職;仮にAさんと呼ぶことにします)が加わりました。飛行機好きだそうです。

私が1年目のころからお世話になっている先輩に
「今日の朝、電車ネタで盛り上がってしまったんですよ~。Aさんに『こんな奴とこれから一緒に仕事をするなんて、先が思いやられるな』なんて思われてしまったかもしれません。(笑)」
と言ったら、先輩、何ておっしゃったと思います?

「あぁ、それは大丈夫!!!Saraが電車好きなのは先に教えておいたから。」
‥(゚▽゚;)えっ??

先日、Aさんに早速訊かれてしまいました。
「Saraさんはどの電車が一番好きなの?」
この質問で、完璧に変なスイッチが入ってしまいました。
「この辺ですと、京急のBlue Sky Trainが好きだったりするんですけど、本命は湘南電車の115系なんです。」 (* ̄▽ ̄*)~゚

「系とか出てくるあたりで、なんだかオタクっぽいなぁ。」
オ、オタクですか?? ・・・(゚ロ゚;) ガーン!

まぁ、そんなこんなですが、宇都宮線、大好きです。
昔、栃木県の祖父母の家に行くと、よく祖母に連れられて、弟と線路の近くで115系を眺めたものです。弟は新幹線のほうが好きだったみたいで「カンカンセン(新幹線)はうんと速い~♪」と歌っていましたけど。まだ口がまわらず、「新幹線」と言えずに「カンカンセン」と言っていたのが本当にかわいかったです。

そんなことを言いながらも私自身、毎日見ていても、N700系(のぞみ)を見ると「わぁ!」と若干興奮してしまいます。まるで子どもです。・・・やっぱり鉄なんでしょうねぇ。全然詳しくないですけど。

しかし、なんだかんだで115系は思い出の電車。
小学校4年生の時、小2の弟を連れて、上野から2人でラビット(確かアレも115系だったはず)に乗ったことがあります。栃木県の祖父母宅に2人で行ったんです。あんな長距離を親の同伴無しに乗ったことがなかったのでドキドキ・ワクワクでした。

長い電車の旅が終わり、目的地の駅に着くと、2人でエキサイトし過ぎて、電車の座席にバックを1つ置いたまま降りてしまいました。すると、「お~い!!」とホームを走って私たちに近づいてくる人が。振り返ると、若いお兄さんが「忘れ物だよ~!」と、私たちを追いかけてきて、そのバックを届けてくれました。(そのお兄さんは、また走って電車に戻っていったのでした。お兄さんも電車に間に合ってよかった!)

115系には、そんな温かい思い出もあります。

2011年4月20日水曜日

やっぱり自死はダメなのね(聖書を読んでいて)


あなたはわたしの魂を陰府(よみ)に渡すことなく
あなたの慈しみに生きる者に墓穴(はかあな)を見させず
命の道を教えてくださいます。
詩編16:10~11


今夜、疲れ果てて帰宅し聖書をパラパラとめくっていたら、突然、私の目に飛び込んできた御言葉(みことば)。

希死念慮で砂漠のようだった私の心に水が注ぎ込まれた瞬間でした。

私の自殺企図が、毎回、「既遂」ではなく「企図」で終わってきたのも主の計らいなのでしょう。
「生きなさい。生きて、命を与えられた者としての恵みを喜べるようになりなさい。」
ということなのかしら?


わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、
死ぬとすれば主のために死ぬのです。
従って、生きるにしても、死ぬにしても、
わたしたちは主のものです。
ローマの信徒への手紙14:8


「やっぱり自死はいけないよね。。。私は生きないといけないのよね。」
しみじみと考えてしまいました。

2011年4月19日火曜日

疲れると、酸っぱいものが欲しくなる

昨日は酸っぱいものが猛烈に食べたくなり、物凄い勢いでディル・ピクルスとグレープフルーツを食べてしまいました。「酸っぱいものが食べたい」というと、「妊娠したんじゃない?」なんて言われてしまいますが、私は疲れたときに甘いものが食べたくなる時と、酸っぱいものが食べたくなる時があるんです。

昨日はディル・ピクルスの漬け汁まで飲んでしまいたい誘惑にかられ、「さすがに、こんなもの飲んだら塩分・糖分の取りすぎになりそう。体に悪いわよね。」と思い、我慢していました。

しかし、やはりCravingにストップがかからず、こういう時にいつも飲むドリンクを作って凌ぎました。

アップルビネガーと蜂蜜をマグカップに入れ、そこにお湯を注いで完成です。
これを3~4杯飲んだらようやく落ち着きました。

周りに「疲れると酸っぱいものが食べたくなる」という人がいないので、変な人だと思われているような気がします。。。

2011年4月18日月曜日

10ヶ月前の「宿題」

先月の震災で急性ストレス障害(ASD)になって、ワイパックスを出されておりましたが、その頓服が減っており、最近は地震関連の不安も少しずつ軽減されております。

少し冷静になり始めたので、ここ1ヶ月、というかもっと遡って自分の精神科領域の症状を考察しております。

実は以前、主治医に「あなたに宿題を1つ出してもいい?」なんて言われたことがありました。「なんですか?」と訊くと、「あなたの診断名!」とのこと。何ゆえにこんなことを先生はおっしゃったのか、正直、いまだに分かっておりません。考えられるのは、「本当に当時、私の症状が意味不明だったから」と、「コレでは?という診断名はあるのだが、告知しにくい。」といったところでしょうか?

留学中に使っていたDSM-IV TRをぱらぱらとめくっていても、自分の診断名なんて、大うつ病性障害や注意欠陥多動性障害(AD/HD)あたりしか考え付きませんでした。

ただ、最近になって診療時の主治医の問診の仕方などで、「もしかして、先生、コレを疑っているのかしら?」と思うものが出てきました(こういう時、「治療する側」にいたことのある人間は辛い。)確か、あの「宿題」が出されたのは10ヶ月ぐらい前のお話。ようやく答えが出たような気分です。しかし…、この診断がもしも正解だったらショックかも。一応、Axis Iの障害ですけどね。私が間違っていればいいのですが。

21日(木)が予約診療なので、その時に先生に訊いてみます。

それにしても、自分に診断を下すことすらできないのですから、やはり私は精神医療の道に進まなくて正解だったのかも。それとも、客観視できない分、自分を診断するのは難しいものなのでしょうか?

エバミールの不思議

エバミールというお薬、私は大好きになってしまいました。
マイスリーのように「2時間後に目が覚める」とか、レンドルミンやドラールのように「翌日、激しくダルイ!」とかが無いのが素晴らしいです。でも、一番好きなところは、以前も書きましたが、目覚めがすっきりした感じで、毎朝辛かった「激うつ状態」が無いこと。体の疲労感もあまりありません

ただ、非常に不思議なことが2つあるんです。

①就寝後、キッカリ5時間後に目が覚める

目覚ましも鳴っていないのに、自動的に5時間後に目が覚めます。例えば、23時に寝ると4時頃には目が覚めてしまいます。さすがに4時に起きるのは早すぎるので、横になったままボーっとしています。起きていられる日は、なるべく0時になってから寝たりしています。ストラテラを5mg減にした時は6時間眠れました。あと、ワイパックスを就寝に近い時間に服用すると、相乗効果のせいか、何時間寝ても眠いです。

②寝汗をかかなくなった

寝汗でシーツまで湿ってしまうことが多かったのですが、エバミールを始めてから、そういう不快な思いをせずに済んでおります。ただ、1晩だけ服用前に眠ってしまったら、以前のように寝汗が凄かったです。


(今日の文体は、診察室での私の口調になってしまっている…。)

なんだかとっても不思議!せっかくだから、また主治医に「主観的服用感レポート」でも書いて差し上げようかしら?

《過去ログ》
エバミール

「棕櫚の主日」の音楽礼拝

昨日はキリスト教暦では「棕櫚の主日(しゅろのしゅじつ)」でした。
次の日曜日はキリスト教では一番重要な教会行事であるイースター(復活祭)です。
去年の今頃、私は大荒れで、主治医と入院することを決定したりしていました。
前回のイースターから、本当に色々ありました。

そんなことを考えながら迎えた棕櫚の主日。
最近、私は専ら夕礼拝に参列しているのですが、昨日の夕礼拝は「受難週音楽礼拝」でした。J.S. バッハの「マタイ福音書による受難曲」による礼拝。2時間に渡る、本当に素晴らしい音楽礼拝でした。混み合った礼拝堂が若干心配だったのですが(そして、実際に混んでいたのでした)、行って良かったです。「礼拝」だったのですが、私は主を讃美することを二の次に、音楽に聴き惚れてしまいました(汗)。本当に癒されましたよ。

会衆一同で歌った賛美歌136番は、4番の歌詞にやられてしまいました。

主よ、主のもとに かえる日まで、
十字架のかげに 立たせたまえ。
み顔をあおぎ み手によらば、
いまわのいきも 安けくあらん。

そこに、コラール72番。

われ この世をば はなるる時 主よわが近くいましたまえ
悩みと恐れ せまり来とも 御力によりて安けくあらん

完璧にノックアウトされました。

自分の意思で命を終えたくなる瞬間がたくさんありますが、それでも、主に呼ばれて、自分が御国に旅たつ日が来るまでは、しっかり生きなくては!なんて、ふと思いました。

2011年4月16日土曜日

成長ホルモン(GH)過多だったから?

私は中学時代、摂食障害で158cmほどの身長で32kgまでは最低でも痩せてしまいました。
今、その頃の自分の写真を見ると、目を背けたくなるぐらい痩せています。初潮が来た頃に摂食障害を発症したのですが、低体重のため初潮の後、2回目の月経を迎えるまでに2年ほどかかりました。

体がそんな危機的状態だったにもかかわらず、なぜか身長だけは伸び続けました。その事実が、当時の私にはどうしようもなく憎たらしく感じて、ますます減量に励んでいました。体が成長できるほど食べていることが許せなかったのです。

はじめは42kgだった体重が40kgを切り、35kgを切り、とうとう32kgになっても身長が止まることはありませんでした。体重はどんどん減っていったにもかかわらず、身長は160cmを超えたのです。これ、怖いことですよね。だって、160cmで32kgということは、BMI 12.5ですもの。

結局、高校に入ってから校医さんに診ていただくようになって、体重は徐々に戻り、卒業する頃には確か身長164cmで体重45kg~46kg だったかと思います(BMI 16.7~17.1)。

その後も身長は伸び続け、169~170cmの間で、ようやく止まりました。その頃から先端巨大症の症状が現れ始めました。

先端巨大症の診断が下るまでは、「あんなに慢性的に栄養不足なのに身長が伸び続けたのは奇跡だな」と思っていました。でも、おそらく、あの頃から私の体内ではGH過多状態が続いていて、そのせいで身長が伸びたのかもしれませんね。

自分の患者さんと同じ薬

アメリカでインターンシップをしていた頃、私が担当していた患者さんたちに多かった診断名はSchizophrenia(統合失調症)とSchizoaffective Disorder(統合失調感情障害)でした。そして、なぜか今でも、彼らの顔と名前、処方を覚えています

そんな背景を持つ私にとって、以前、リスパダールやエビリファイ、セロクエルといったお薬を処方された時は本当に複雑な心境でした。
「あぁ、このお薬、○○さんも飲んでいたな。」
なんて思ったり。

そんなことを思い出しながら、「精神科医が精神科の患者になったら、どんな心境になるのかしら?」なんて、余計なことを考えてしまいました。

2011年4月15日金曜日

たった12.5mg増やしただけで(>_<。。)

ジェイゾロフト 25mg → 37.5mg にしたら

実は、主治医の許可のもと、ジェイゾロフトを12.5mg増にしてみました。
結果……。

(×_×;)う゛ぅぅぅ


下記の症状が12時間以内に相次いで出現してしまいました。
  • 頻尿(15分ごと)
  • 吐き気
  • 腹痛
  • めまい、ふらふらする
  • 下痢
  • 冷や汗
  • 体の震え
  • ほてり
  • 息切れ

実はコレ、サインバルタが駄目だった理由とかなり重なります
私が経験したサインバルタの副作用は
  • 頻尿(10~15分ごと)
  • のどの渇き
  • 吐き気
  • 腹痛
  • 動悸
  • ほてり
  • 頭痛
でした。


そして、ジェイゾロフト開始時に経験した副作用は
  • 吐き気
  • 頭痛
  • 下痢
  • 眠気
といったところ。


ただ、今回はジェイゾロフトの開始時よりも、サインバルタの時よりも、かなり辛い症状でした。



ん?この症状のリスト、なんだか大学の講義中に出てきたような…。

これってもしやセロトニン症候群?
でもジェイゾロフト、たったの37.5mgでセロトニン症候群なんてありうるのかしら?
まだアメリカの大学でインターンシップをしていた時、Zoloft 200mg* の患者さん、いたんですけど。
(*注:日本でのジェイゾロフトの上限は100mgです。)

とにかく、このまま37.5mgを続行してはいけないような気がしたので、再度、25mgに戻しました。代わりにストラテラを35mgから40mgに戻したら、少しは良いようです。(主治医には、きちんと連絡をとりました。)


それにしても、私の体はどれだけお薬に弱いんでしょうか?


《過去ログ》
ジェイゾロフトのお陰で

2011年4月13日水曜日

何気ない電話から

友人から突然、電話がかかってきました。
「特に用件があるわけではないんだけど、なんとなく電話しちゃった。ごめんね。」

こういうのが一番嬉しいです。
何か用があれば、誰だって電話します
でも、特に用も無いのに、私を選んで、「なんとなく」電話してくれたことが嬉しかったです。


ほんの些細なことに見えるかもしれませんが、 それでも、この出来事は
「私は生きていて良いのかもしれないわ。」
と私に思わせてくれました。

希死念慮と戦うための道具をまた1つ貰いました。

チーズ+ワイン=妄想 (*´▽`*)

久しぶりにカマンベールがセールになっていたので、赤ワインのカベルネと一緒にゲットしました。こんな天気の良い春の日には、ワインでもあけて美味しいチーズを楽しみたい、と思いながら帰り道を歩きながら桜を眺めていたのでした。そんなところに、カマンベールのセール。ナイス・タイミングです!

「え~い、買っちゃえ~!!今日は楽しく飲むわよ~♪

両方、ゲットして、鼻歌気分で帰宅。(この時点で、既にアルコール無しで酔っている可能性あり。っていつものことか。)

私は色々あるチーズのなかでも、カマンベール・ノルマンディ、ブリー・ド・モー、ゴルゴンゾーラ、タレッジョが好きです。とはいっても、チーズにしてもワインにしても、あまり詳しくないのですが。ただ、「これ、美味しいなぁ。」と思ったものだけは覚えるようにしています。それこそ「○○年の□□の赤は…」とか言われても「う~ん…、教えてくださ~い。」といった感じです。ソムリエナイフも持っていますが、手つきがぎこちないんですよね。

キャンドルを灯して、夜桜を見ながら、素敵な方とワインなんて飲めたらなぁ…、と今日も妄想中。こんなことを精神科医の主治医に言ったらカルテになんて書かれてしまうことやら。(笑)いや、実際に「夜桜を素敵な方と」という妄想についてはお話してしまったことがあったり(汗)。

「『妄想』と言っても、先生、Delusion ではなくて Day Dreaming の方ですよ。」と私。
「あぁ、『白昼夢』かぁ。」と先生。言いながらニヤリとしておりました。
まったく!他人事だと思って。(-_-メ)
・・・まぁ、所詮、患者のつぶやきなんて「他人事」ですよねぇ、先生


先週末の強風と雨で「桜はもうダメかしら?」と半ば諦めていたのですが、昨日もまだまだ残っていました。

ふと空を見上げると、こんな感じ。


ちょっと近くに寄ってみました。

やっぱり桜ってキレイだな。

2011年4月12日火曜日

エバミール

昨晩、初めてエバミールを服用しました。
結果に感激です!
久しぶりに5時間ぐらい眠れました。
レンドルミンのように翌朝に残ることもない、切れ味の良さを感じております。
当たり前ですが、マイスリーよりも長く眠れます
そして、あの曲者(くせもの)、ドラールのように眠りに落ちる時の不自然な脱力感を感じずに、スーっと自然に眠れるのが良いです。

プラス、朝、目覚めた時の辛い希死念慮がありません!!これが一番スゴイです。
体のしんどさもあまり無いです。
まさに、「こんな眠剤を求めていました~!」という感じ。

エバミール、今までで一番好きな眠剤かも。

2011年4月11日月曜日

病院に行ってきました。(心身医療・予約外)

今日、2:30AMに起床しましたが、結局6:00AMに疲労感と眠気でグッタリしてしまい、眠ってしまいました。それでも、きちんと会社へ連絡できるように8:30AM過ぎにアラームを設定し、しっかり起きて、連絡しました。

その後、「O先生(精神科医)のところに行かないと。」と思いながらも、やはり寝てしまいました。
そして、次に目が覚めたとき、時計を見たら11:30AM。まずい!と思って飛び起きました。「O先生の最後の枠、今日は確か2:30PM~3:00PMよね?急がないと!」と思い、お薬をのんで、準備をして、出発。

それでも、まっすぐ病院に行けない私。AD/HDの影響もあるのでしょうが、心のどこかで予約外でO先生に診ていただくことに罪悪感を感じているようで、足取りは重かったです。

今日はいつも以上に診察室に長居してしまったように思います。色々と取り留めのない話までしてしまい、今考えると、先生には本当に申し訳ないかぎりです。週初めで、先生もしんどくなかったかしら?先生、ごめんなさい!

現時点では、大幅なお薬の変更は無く、不眠対策のための調整でした。
  • ストラテラを40mgから35mgに戻す。(↓5mg)
  • エバミール(1mg)を追加
今回の精神症状の急激な悪化は、「やはりサンドスタチンLARの影響では?」という結論だったのですが、これ自体に対する直接的な対処はなされませんでした。だって、当たり前ですよね。単純に↓GH&↓TSH&↓T4 となる作用・副作用があるわけで、そうなれば当然、うつ状態になります。「これを精神科の薬で何とかする、というのも何だかなぁ…。」と思います。

そういえば、O先生、そのうち私には再度、エビリファイの少量を使ってみるようなお話をなさっておりました。メジャーかぁ。。。気が重い。ただ、O先生のエビリファイの処方の仕方は嫌いではないのです。私は今まで、O先生も含めて3人の先生にエビリファイを処方されました。そのうち、一番副作用が少なかったのが、O先生の使い方でした。「エビリファイは好きではないけど、O先生にだったら任せてもいいかな?」と思っていたりします。

その理由は、O先生がエビリファイを上手に使いこなせるドクターであるらしい、ということは然ることながら、患者である私の意見を尊重して下さるから。何か問題が発生したら、きちんと話し合って下さるから。

「この薬の服用、あんまり乗り気じゃないのよね。」と感じるとき、こういうドクターとなら、トライしてもいいかな、と思うのです。

やはり消えない希死念慮

結局、また2:30AMに覚醒。
シャワーを浴びながら洗髪して、少し気分転換を図りました。

どうしようもなく「消えてしまいたい」という気持ちが今日も重くのしかかっています。
私にとっても、物凄く不可解な感情です。
というのも、これから楽しいことが待っているから。
アクロメガリー・コミュニティーの研究集会に参加することが実は決まっております。
そして、ゴールデンウィーク中はミシガンの友人たちと再会する予定なんです。
「こんなに楽しみが待っているのに、何が悲しくて私は死にたいのかしら?」


小学生の頃から、私はずっと希死念慮が続いているので、何十年も生きてきた方々には本当に感心してしまいます。ただただ、「凄いなぁ」と思います。私には、とてもそんなに長く生きる勇気なんてありません。

私は自分が小学生の頃は、「中学校に入る頃まで、とてもじゃないけど生きていたくない。」と思っていました。そして、中学生になれば、「高校入学するまでには、絶対に死んでいたい。」と考えておりました。色々ありましたが、死ぬことはありませんでした。高校に入学すると、希死念慮はさらに悪化。授業中も、授業なんて上の空で、死ぬことしか考えていませんでした。学校も遅刻・欠席が多くなりました。保健室にいることも多かったです。

色々と悩んだあげく、「人生をやり直せないかしら?」と思うようになり、留学を決心。留学中も希死念慮は消えませんでしたが、少なくとも日本にいた頃よりは、ずっと楽でした。ただ、下垂体のオペなどのストレスで、最後の1年弱はかなり辛かったです。(実際に初めて精神科に入院しました。)

帰国後は他のストレスも加わり、さらに苦しくなり、現在に至ります。

確かに人生を振り返って
「今まで生きてきて、本当に良かった」
と思うのですが、
「これからも生きていきたい」
とはどうしても思えないのです。

と、こんなことを言いながらも、今日も私はなんとか生きています。

《過去ログ》
1番困っていること(希死念慮)

2011年4月10日日曜日

先端巨大症と大腸ポリープ

先端巨大症になると、大腸ポリープができやすくなる、と聞きますよね。
私も下垂体のオペから2ヵ月後に大腸内視鏡検査を受けました。
いくつかありましたが、そんなにたいしたことなかったので「次回は5年後」と2007年に言われました。


・・・・・・???
・・・・・・!!!

Σ( ̄▽ ̄ι)アレ・・・、5年後って来年???


(||| ̄▽)/ゲッ!


この検査、やったことある方なら分かるかと思いますが、あまり楽しい検査ではありません。
(そもそも「楽しい検査」なんて存在するのか疑問ですが。)

アメリカでは麻酔で眠っているうちにやってくれましたが、日本ではどうなんでしょう?
あまり麻酔を使いたがらない日本での医療に、私は恐怖を感じることがよくあります。
寝かせてくれると良いな…。

そういえば、新生物ができる理由に、「腫瘍細胞の増殖」と「腫瘍細胞のアポトーシス減少」が考えられるそうですが、Dutta(2011年)らによると、先端巨大症においては、「腫瘍細胞の増殖」傾向が健常者よりも顕著に多く、特にIGF-1が高いほど、その傾向が見られるとのことです。

なるほど!
先端巨大症の場合、大腸内視鏡検査はちゃんとやったほうが良いんですね。

しかし、あの検査、準備段階が特に嫌だったなぁ…。

2011年4月9日土曜日

LAR投薬後、また抑うつ症状&希死念慮が悪化

またサンドスタチンLAR投薬の翌日から抑うつが悪化し、希死念慮が暴走しております。
これ、私、毎回なんですよね。。。
同じような有害事象で苦しんでいる方、他にいらっしゃいませんか?


サンドスタチンLAR投薬
↓↓↓
腹部の違和感・腹痛
注射した側の腰の痛み
倦怠感
抑うつ症状悪化
希死念慮


こんな感じです。

サンドスタチンLARの添付文書には「抑うつ症状」は副作用として挙げられていませんが、メルクマニュアルのウェブサイト(英語)には1~4%の頻度で現れる副作用として、ちゃんと記載されているんですよね。

冷静に考えたら、「抑うつ症状」は当たり前の副作用にも感じます。成長ホルモンを下げるわけですから、うつにもなりますよね。他にも甲状腺ホルモンを低下させる副作用もあるわけですから、そうなれば、当然うつになるわけで…。

私は術後、うつ病を発症しましたが、サンドスタチンLARを始めてからが特に酷く、初めて精神科に入院しました(というか、させられた)。私の現精神科医も、私の精神症状は器質性と見ているようです。まぁ、実際に頭に腫瘍があったし、手術でいじっているので、可能性はあるかもしれませんね。

とまぁ、そんなこんなで、散々なLAR投薬後2日目を迎えた今日、朝の2時ごろから救いようの無い絶望感に襲われ、希死念慮が酷く、とても辛かったです。5時半~6時ごろ、ようやく寝付いたのですが、9時ごろに起床した時にはすでに鬱々としていて、本当に悲惨でした。頓服しても無くならない希死念慮。洗濯をしたりして気を紛らわそうとしましたが、辛さは増してくるばかり。

実は今朝4時ごろに、一度、当直医に電話しようと思ったのですが、なんだか申し訳なくてできませんでした。それで、寝逃げして、頓服して、我慢して、としているうちに10時半。土曜日の外来の時間は11時までです。相談しようか、どうしようか迷っているうちに携帯電話の時計は10時59分になりました。「今、繋いでもらわなかったら…」と良い意味で焦りがでてきたので、通話ボタンをプッシュ。

主治医のO先生にご迷惑をおかけしたくなかったので、精神科の医事課に繋いでもらいました。こうすると、当番医になる可能性が期待(?)できます。が、今日は幸か不幸か、O先生に繋がれてしまいました。受話器の向こうでO先生の声が聞こえたときは思わず、「∑(☆△≦;) あちゃ~!」と、額に手を当ててしまいました。

「先生、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」と心の中で叫びながら、
「希死念慮が酷くてどうしようもなく辛いんですけど、どうすれば良いのか分からないんです。」
と切り出しました。

話しているうちに涙が止まらなくなり、「ふぅ、電話上で良かった~」と思いました。いくら主治医とはいっても、涙を見られるのは恥ずかしいですから。

結局、電話したタイミングが、これから外来に来るには遅すぎたので、とりあえず手元の薬の頓服で週末は乗り切る;無理そうな時は救急で診てもらい、メジャーを出してもらうよう、指示をいただきました。「月曜日、待ってますよ。」と最後に言われたときは涙涙で情けないことになっておりました。

毎回、サンドスタチンLARの投薬直後に希死念慮が酷くなるわけですが、今回は他のストレスもあったせいか、特に暴走していたように感じます。ただ、今後もアクロメガリーの治療を続けていくわけですから、治療薬の副作用として現れる、辛い精神症状をどうやって乗り切るかのクライシス・プランを作成する必要を強く感じました。

2011年4月8日金曜日

4月7日(木)の診療と地震

昨日、4月7日(木)にまた大きな地震がありましたね。

携帯電話のEEW(緊急地震速報)が鳴った数秒後に大きな揺れが来ましたが、実は詳細を覚えておりません

昨日は内分泌内科の予約外来があり、サンドスタチンLARの投薬の日でした。診察の1時間ほど前に、なぜかパニック発作に見舞われ、ワイパックスを服用。動悸と息苦しさは抑えられたのですが、診察室に呼ばれる頃には若干、意識朦朧としていました。

「体調はどうですか?」という先生の問いにどう答えていいのか分からず、「いや~」とごまかしてしまいました(汗)。なんとか「あまりよろしくないです。」「ストレス反応はだいぶよくなりました。」とだけ答えられましたが、全くもって頭が回りませんでした。今回、お聞きしたかったことや、ご報告したかったことがあったので、診療ノートを持っていって本当に良かったです。「こういう時のための診療ノートなんだな」と改めて実感。

IGF-1は順調に下がっています。
  • 1月6日 290ng/mL
  • 2月3日  165ng/mL
  • 3月2日  169ng/mL
私の基準値は137~320ng/mLなので、成績優秀な治療結果です!
ただ、ほぼ毎回、投薬のたびに辛い副作用があるので、これぐらい効いてくれないと治療に対するモチベーションが無くなってしまいますけどね。


さて、サンドスタチンLAR投薬を終えて帰宅すると、投薬の影響か、体がぐったり。ワイパックスで眠気がマックス、ということもあったので、軽い夕食を摂ってからシャワーを浴びると、すぐに眠りについてしまいました。おそらく、20時過ぎには寝ていたかと思います。

そして、EEWの警報が騒々しく鳴ったので、ちょこっと起きました。「あぁ、また地震かぁ。。。」と半分寝た状態で、布団の中で目をつぶったまま横になっていました。あまりにも疲れすぎていて、携帯電話を手にとって、EEWを確認することすらできませんでした。とにかく、体が動かなかったです。

しばらくすると、大きな揺れを感じました。しかし、半分寝ていたせいか、全く恐怖心が無かったです。部屋の中で、何かが倒れる音がしたので、「これは、かなりの揺れだな。」と思ったのは覚えています。しかし、「まぁ、どうでもいいや。」と、そのまま寝てしまいました。私って本当に生命力に欠けますよね(苦笑)。

そんな夜も明けた今日はサンドスタチンLAR投薬の翌日でしたが、体がマックスに辛かったです。よく出勤したな、と自分でも驚きました。そして、肝心の地震については、職場でメールを読むまで、すっかり忘れていたのでした。

2011年4月7日木曜日

最近の不調

ふぅ、また早朝覚醒です。
2AMに目が覚めてしまいました。
最近、22時ごろに強烈な睡魔が襲ってくるので23時までには就寝しているのですが、どうしても3時ごろに目が覚めてしまいます。寝ようとしても眠れずにイライラ・ソワソワしてしまうのと、変な時間に起きてしまうせいか、お腹が空くので、とりあえず布団から出て早めの「朝食」をとるようにしています。

すると、今度は6時ごろに疲れて眠くなってしまうのです。こんなわけで、朝は絶不調。体がグッタリとしていて、心は抑うつモードでかなり辛いです。昨日は午後から出勤しました。ストラテラの5mg増量から始まった問題なので、やはりこの微量の調整でも私には影響があるんでしょうね。それでも、仕事をしている時の集中力はかなり違います。

睡眠が足りていないせいか、よく分かりませんが、最近、全身倦怠感がとても辛く、できれば1日中寝ていたいです。それでも、お昼ごろになると、若干調子が良くなります。そして、仕事が終わって帰宅すると、また疲れがドッと押し寄せてきて体が動かなくなります。どうしてこんなに疲れるのでしょうか?

2011年4月5日火曜日

「心の元気+」の今月号を読んで

昨日、心の元気+の第50号が届きました!

今回の特集は「ふみとどまって生きる」
震災があって、希望を持ち続けることが困難な今の時期に相応しいですし、何よりも、私が1番求めていた内容でした。

まずは、特集1 「つかれきってしまったあなたへ」の出だし。読んでいて、涙が出そうになりました。
たくさん、つらいことがあったのですね。
悲しいこともあったでしょう。
苦しくても一生懸命がんばってきましたね。
そんなあなたを、私は誇りに思います。どんなことにも、耐え抜いて今まで生きてきたんですもの。
ずっとずっと誰かに言ってほしかった言葉でした。

小学生の頃から「存在していること」が辛くて、死ぬことばかり考えてきました。
私の一番最初の自殺企図は小学生の時。その時から、常に「生きることを放棄したい」という欲求と背中合わせの人生でした。それでも今日まで、なんとか生きてきました。本当によく頑張ったと思います。まずは、そのことを素直に評価したいと思いました。


次に、特集3 「私は今、生きています」の中の言葉です。思わず涙してしまいました。
心臓は「生きていたい!」と一生懸命、胸で鼓動を強く強く打っています。
私が死のうとしても、私の体は本当に頑張って生きようとしているんですよね。この当たり前の体の営みの尊さを改めて実感しました。


特集5 「あなたは一人ではない」には私に似た境遇の方の体験が語られていました。「死にたいと思っているのに、脳腫瘍の手術を受ける必要があるのか」と悩んだ末に、手術を決心した当事者の方です。

私も「死にたいと思っているのに、様々な病気の治療を続けていく意味があるのかしら?」と悩んでいます。「治療を続けるだけ、お金の無駄、資源の無駄、医療スタッフの時間の無駄。無駄だらけじゃない?」と。それでも治療を続けているんですから、やはり私の心の奥底には「生きたい」という思いもあるのかもしれませんね。


特集6 「『死にたい』といわれたらどのように対応したらよいのか」には、こんなことが書いてありました。
たった一度だけの大切な死を、意味あるものにすることが、人生の大きな宿題だと私は思っています。
そういえば、日野原重明先生がどこかで、「『よく生きること』と『よく死ぬこと』は繋がっている」といった内容のことをおっしゃっていたように思います。やはり、せっかく頂いた命は、良い死に方で終わらせるべきなんでしょうね。

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先日、心身医療の主治医に「9階から飛び降りても失敗しそうですよね。」と言ったら、先生は顔を歪めながら、後片付けが大変であることをご指摘されました。そして、「その死に方は美しくないよ」とコメント。それに対して、「死ぬ時なんて、どうでもいいんですよ。」と私。

でも本当は、そんな死に方ではなく、もっと素敵な人生の終わりを迎えたい、という願いもあります。やはり、「最期ぐらいは…」と思うんです。しかし、その最期を素敵なものにするには、やはり人生そのものも素敵でないと駄目なんですよね。

そんなことを考えていたら、少しは、「生きることを投げ出さずに、もうちょっと頑張ってみようかな。」と思えるようになりました。

2011年4月4日月曜日

精神科領域の症状、緩和しております。

ここ数日、ワイパックスは0~0.5mgで大丈夫になってきました。
不安や緊張といった状態もかなり改善されてきたように思います。
この調子なら、ASD(急性ストレス障害)からPTSD(心的外傷後ストレス障害)には移行しないで済みそうです。(ASDは症状が1ヶ月以内でおさまる場合;PTSDは一ヶ月以上続く場合)

我慢して抗不安剤の服用を控えたりしなかったのが良かったのかな、と思います。
外出に対する不安もだいぶ軽減されてきました。
身体症状は最悪のときと比べると、血圧は全体的に約30;脈拍は20~30減少しました。

ただ、症状の出かたが変化してきており、強い吐き気を伴うようになりました。
こういう時、ワイパックスを服用すると、その吐き気がピタリと止まります。
やはり心因性なんでしょうね。

そういえば、ワイパックスの服用が減ってから自傷も減りました。まぁ、自傷とは言ってもリストカットではなく、「出血するぐらい引掻いてしまう」というものなのですけどね。これは、アトピーで掻いていたものの延長で、小学時代からやっている癖のようなものなので、なかなか無くなりません。この擦過に上乗せしてリストカットを始めてしまったわけですが、そのリストカット自体はもう1年ぐらいやっていません。前回、心身の主治医に報告したら「素晴らしい!」と喜んで下さいました。

また、この不安の最中、食行動異常も見られませんでした。「摂食障害も治っていると思います。」と追加して先生に報告すると嬉々としてカルテに打ち込んでおりました。最後に食べ吐きしたのはいつだったかしら?手元の記録によると、去年の12月9日の夜が最後。な~んだ、つい最近じゃない、とちょっと残念でしたが、この積み重ねが大切なんですよね。

低用量ピルを始めてからPMDDも改善。さて、残るはAD/HDと抑うつ。まだまだ希死念慮には困っておりますが、なんだかもっと良くなれるような希望が見えてきました。「焦らずに一歩一歩」 をモットーに回復の道を歩んでいきたいです。

2011年4月3日日曜日

ナスタチウム

最近、お花屋さんの植木コーナーでナスタチウムを見かけるようになりました。
先日、母と有楽町界隈を歩いていたとき、きれいな葉っぱのナスタチウムの鉢植えを見かけて私がはしゃいでいると、「そういえば、Saraはナスタチウム、昔から好きよね。」と言われてしまいました。

小学校時代から私はガーデニングが好きで、小学生のころは「栽培委員会」なるものに所属しておりました。中学受験の勉強に追われて、疲れていた心を癒してくれたのが、校庭の植物たちだったのです。そして、中学・高校時代に入ると、ハーブのコンテナ・ガーデニングに没頭し始めました。ただ、「いつまでも一緒にいて欲しい」という思いから、ずっと多年草を育てていました

しかし、高校時代に1年草のナスタチウムに出会ってしまい、その不思議な形の葉っぱと色鮮やかな花に一目惚れ。初めて1年草のハーブを育てることになりました。

そんなこんなで、ナスタチウムは思い出のハーブなのですが、最近になって花言葉を知りました。
「困難に打ち勝つ」
なんだか、またナスタチウムを育ててみたくなりました。

2011年4月2日土曜日

今日で5年目突入!

2011年4月2日 ― 今日の日付です。
今日でとうとう下垂体の手術から5年目を迎えます。
「あれから、まだ丸4年しか経っていないんだ」 という気持ちです。
この4年の間に、あまりにも色々あり過ぎたせいか、もっと時間が経っているように感じます

今日、4月2日という特別な日に、母から「本の出版、お祝いしないとね。」とお誘いを受けました。
おしゃれなレストランでコースを楽しみながら、「お母さん、今日、4月2日なんだよね。」と切り出しました。
「それが、どうかしたの?」
「うん、私は2007年4月2日にオペだったのよ。」

二重のお祝いになりました!

5年目のアクロ患者として、もっともっと社会貢献できますように。
そして来年も無事に6年目を迎えられますように。


【過去ログ】
ABBAを聴きながら~もうすぐ5年目

ストラテラの量を微調整しました


3月31日(木)に心身医療の予約外来がありましたが、その際、お薬の微調整がありました。

今までの

・ストラテラ(35mg)
・ジェイゾロフト(25mg)

という処方を

・ストラテラ(40mg) ← 5mgアップ
・ジェイゾロフト(25mg)

に変更。

「大した変化ないじゃない?ストラテラ5mgの増量なんて、誤差の世界では?」と言われそうな気もしますが、この5mgが私のAD/HDの症状には大きな差をもたらすのです。実際に、この5mgの差で、昨日は職場で黙々と仕事をすることができました。ウロウロと歩き回ったり、ソワソワしていることもなかったように思います。あと、ストラテラはノルアドレナリンを増加させるからでしょうか、今回の増量で意欲低下も改善しました。1番素晴らしいのは希死念慮の改善!

ストラテラ、なかなかです!

ただ、早速眠れなくなりました。目が冴え冴え!こういうところも、「あぁ、やっぱりノルアド系なんだな~。」といった印象です。

それにしても、今回の処方せんが面白かったです。
ストラテラ40mgですが、25mg、10mg、5mgのカプセルをそれぞれ1つずつ
AD/HD的に、こういう処方は助かります。
色の異なるカプセルを同じ数だけ、ってとても分かりやすいから。
あと、40mgが重すぎた場合、元の35mgに簡単に戻せるのもポイント

処方したO先生、なかなかです!

次回の診療の4月21日(木)まで「死なないで!」と最後に釘刺された時、思わず「…重いですね。」と本音が出てしまいましたが、この調子なら、頑張れそうです。

KYな(空気が読めない)MR?

先月末、職場でメールチェックをしていると、MR(医薬情報担当者)教育担当者からの社内メールが。「また研修の案内かな」と思って開くと、MR認定センターからの文書が添付されておりました。どれどれ、と開いて…

Σ(゚△゚;)えぇぇ!!マジ??!!

とリアクションしてしまいました。

元の文書は公開しませんが、こんなことがあったそうです。(下記リンク参照)
教育センター 震災後のMR活動で注意喚起へ 「医療現場に配慮を」
( 2011年3月29日 )

 震災の影響で品薄となっている医薬品の確保や計画停電への対応などに追われる中で、抗アレルギー薬や新薬のプロモーションのためだけに来院したり、ガソリ ン不足が深刻化していた時期に病院関係者が自転車での通勤に切り替えているのに車で訪問するなど「空気が読めない」(同センターの水野能文事務局長)MR がいたという。
(リンク先から一部抜粋)

う~ん、同業者として恥ずかしくなってしまいました。とはいっても、私もKYな一面があるので、日常生活でも気遣いは大切にしたいな、と思いました。

2011年4月1日金曜日

早速、本をプレゼントしました。

昨日届いた本を早速、今日の夕方、私がお慕いする方のもとにお届けしました。
おそらく、日本国内では私を除けば、この方が1番最初にこの本を手にした人物でしょう。
現実に、それに相応しい方だと思います。

生きる勇気を与えてくれて
  私に笑顔を戻してくれて
    信じ続けることを教えてくれて…

「(この本を私がお渡しするのは)あなたが第一号です。」
とお伝えした時のこの方の笑顔は、まるでヒマワリのようでした


【過去ログ】
本が出版されました!!!!!
Alone in My Universe がアマゾンでも
ABBAを聴きながら~もうすぐ5年目
Alone in my Universe が届いた!