2010年7月28日水曜日

身分証明書の写真

 海外で整形手術を受け、帰国してきた男性がパスポートの写真と顔がかけ離れているため、トラブルになった、というニュースがありました。

海外で整形、パスポート写真と顔が一致せず入国トラブル-中国

これを読んでいて、「人ごとではないなぁ」と思ってしまいました。
私の持っているのは10年パスポート。発効日から10年経つ頃、私はどんな顔になっているのかしら?

先端巨大症は顔をはじめ、外見を変えてしまう病。しかも、急激な変化ではなく徐々に変えていきます。
顔に変化があった人は、身分証やパスポート、運転免許証の写真を即座に変更したほうが良いとした。
とこの記事は締めくくられていますが、私たちアクロメガリーの患者はいつ変更すればよいのか、何とも分かりにくいですよね。10年以内に本人判別が不可能になるぐらい顔が変形する、なんてなるべく考えたくないですし、実際にそんなペースで変わってしまうのか分かりませんが、やはり気になってしまいます。難しい問題だなぁ、と思ってしまいました。

神経精神科 通院 (7月20日)

ようやく合うお薬が!!

とうとう梅雨明け、暑い日が続きますね。

今更ですが、先週の通院日記です。
実は6月28日(月)にPMDD(月経前不機嫌性障害)が酷くて予約外に駆け込みで主治医に見ていただいたのですが、その際、今まで避けてきたSSRIを再度試すことにしました。今回はPMDDによく使われるジェイゾロフトです。実際、PMDDに使用する際にはダラダラと服用するのではなく、月経前1週間前に服用を開始して、月経開始と同時にストップ、という飲み方らしいです。

しかし、私にはこの薬、思いのほか「ドンピシャ」だったんですね。抑うつ症状が劇的に改善しました。ですから、PMDDだけではなく、うつ症状に常用することになりました。7月6日(火)の予約外来の際、良いお知らせばかりで私も嬉しかったのですが、主治医も笑顔でした。あんな先生の笑顔を見たのは初めてでした。

そして、7月20日(火)の予約外来。この日は主治医も私も笑顔の絶えない診療でした

下記が私が診療ノートに書いた報告です。
  • 食行動が正常化した
  • 自傷行為なし(スキンピッキングも改善)
  • 希死念慮のある日の方が少なくなった
  • 生きていることに対する罪悪感が消えた
  • 心が穏やかになった(「追い詰められ」感が劇減)
  • イライラしなくなってきた
  • 「顔つきが変わった」と言われるようになった
最後の「顔つき」のことをご報告すると、先生が「うん、変わった!」「険しさが無くなったよね」と仰ったので、「本当に私の顔つき、変わったんだ~!」と嬉しかったのを覚えています。

神経精神科の現処方は下記の通り:
  • ストラテラ(20mg)
  • ジェイゾロフト(25mg)
  • メイラックス(1mg)
  • 酸化マグネシウム(330mg)

ジェイゾロフト、非常に良いのですが、不眠の副作用が唯一の難点です。眠剤を飲むと、私の場合、超短期型でも翌朝残ってしまうので今は眠剤なしで頑張っております。

非常に前向きになり、「いつも、何事にも感謝する」というモットーを貫くことが出来る精神状態になり、本当に嬉しく思います。2年半の模索の末、ようやく「ストラテラ&ジェイゾロフト」というコンボで私のうつは良くなりました。

しかし、どんなに良くなっても身体的に疲労すると食行動異常と希死念慮が戻ってくるので、注意が必要であることにも気づきました。自分の体に耳を傾けることの重要性を改めて痛感しました。

それにしても、抑うつが良くなっても身体症状はまだ辛いです。ここ2~3週間、倦怠感や頭痛で寝込む日が多いです。おそらく、この身体症状はうつとは関係ないのかもしれません。実際に体の不調であるように思います。

何はともあれ、今は本当に「生きていてよかった、生かされてきてよかった」と思えるくらいに回復しました。先生には感謝の気持ちでいっぱいです。「死にたい」とさめざめと泣く私に、真剣に向き合って、「あなたは生まれてきたんだから、生きていて良いんだよ。」「何を投げ出しても、生きることだけは投げ出しちゃダメ。生きるんだよ!」と言って下さった先生。この言葉を胸に辛いときを乗り越えてきました。O先生、本当にありがとうございます。

2010年7月17日土曜日

後ろ姿に現れる人柄

医師の後ろ姿に感じたもの
後ろ姿美人になりたい

先端巨大症は顔をはじめとした外見を変えてしまう病気です。それだけに、私は自意識過剰、自暴自棄、自己嫌悪に陥ってしまった時期がありました。

いまだに堪(こた)えるのが外出先でのお手洗い。並んでいると鏡に自分の姿が映ります。列に並んでいる他の女性と比べると圧倒的に「大きい」私がそこには映るのです。骨格がガッシリして顔も大きめ。アクロ独特のゴツゴツした顔でもあるので、お化粧が薄かったり、アクセサリーを身につけていないと男性にすら見られそう、と被害妄想。

しかし、そんな私の意識を変える事件がありました。
----------------------------------------------

神経精神科へ入院2日目、私は内分泌内科の外来があったため、病院の連絡通路をヘルパーさんと歩いていました。するとそこに私の外来担当医(精神)のO先生が後ろから合流!入院生活についてお話しながら途中までご一緒させていただきました。

外来棟に着いて、「それでは。」と言葉を交わした後、私はヘルパーさんと内分泌内科へ、O先生は心身医療科へ。O先生の後ろ姿、素敵でした。背中がピン!と伸びていて、堂々としていて、「僕は患者さんに精一杯向き合っているんだぞ!」という意識をなんとなく感じ取りました。

あの後ろ姿を見た後、私はケアルームで肥塚先生の診療まで待機することになるのですが、その間しばし、下唇を噛みながら必死に涙をこらえていました。

「あぁ、私はなんて馬鹿だったんだろう?」

あの時までの私は、お薬の勉強をしたり、服薬コンプライアンスシート、行動モニターシートなどを作成する、といった自己努力は怠りませんでした。しかし、まだまだ甘かったんですね。「治してもらおう」と受け身でした。ところが、あのO先生の後ろ姿を見た瞬間、「あんなに先生が頑張っているのに、どうして私にはその頑張りが今まで見えなかったんだろう?私には『治そう』という意識が欠如していたのね。」とO先生に申し訳なくて、涙がこぼれそうでした。O先生の後ろ姿が、私の精神科の患者としての治療に対する姿勢の意識改革をもたらしました。

その直後、肥塚先生の後ろ姿も見ることになります。前々から思ってはいたのですが、肥塚先生の後ろ姿にはいつも何か頼もしいものを感じます。あの日の先生の後ろ姿も輝いていました。何かと戦っているような、それでいて温かいものを見た気がしました。あの日も希死念慮の強い日でしたが、肥塚先生の後ろ姿が「私も闘わないと!」という思いにさせました。

短い時間で2人の先生の「かっこいい」後ろ姿を見て、深く考えさせられました。
--------------------------------------------------------

前は鏡で見えるから、ある程度は直せます。しかし、自分では見えない後ろ姿にこそ、その人の生き様が現れるように私には思えてならないのです。O先生と肥塚先生の後ろ姿を見た、あの日以来、私は他の人の後ろ姿に注意するようになりました。

それで分かったことはごく単純なこと。素敵な後ろ姿は簡単に作り出せるものではない、ということです。作るものではなくて、その人の内面から「作られる」ものなんだ、ということがよくわかりました。私も良い生き方をして、周囲の人に良いエネルギーを与えることの出来るような「後ろ姿美人」になりたいです。

2010年7月15日木曜日

先端巨大症、摂食障害などから学んだこと(2)

自分を「かわいそう」と思うのはやめよう

7月4日の「出会い」から学んだこと、気づいたことの続きです。

Kさんは「あの頃、私は自分がかわいそうで、かわいそうでしかたなかった」と語りました。Kさんのおっしゃる「あの頃」とは、まさにあの日までの私のようでした。「でも、自分のことをかわいそう、と思っているうちは辛いままなのよね。」とおっしゃった時、私はハッとしました。
  • 複数の慢性疾患
  • 「難病」と呼ばれるもの
  • 顔も含む外見の変わる病気
  • 経済難
  • 偏見の多い精神疾患
  • 辛い過去
  • 家庭内不和
こういったものにとらわれると、どうしても自分を「かわいそう」と思うことに気づきました。いえ、今までも気づいてはいたかもしれません。しかし、その事実に対して疑問視することは怠っていました。


左の図は有名な「ルビンの壷」という絵です。(図はこちらからお借りいたしました。)皆さんも、どこかで一度はお目にかかったことがあるかと思います。

ちなみに、私には壷が先に見え、後から2人の人の横顔が見えます。

これまでの私は、壷ばかりを意識していて、人が見えていなかったんです。見えていたとしても、そこをしっかりと見つめ、素直に受け入れることができなかったのです。

確かに「かわいそうな私」の存在は否定できません。しかし、本当にかわいそうなだけだったのでしょうか?

  • 複数の慢性疾患や「難病」を抱えたおかげで、私は人の痛みを感じることのできる人になった。
  • 顔をはじめとする、外見の変わる病気や摂食障害を通して、表面的なものにとらわれてはいけない、という戒めをいただいた。
  • 病気を通して沢山の素晴らしい人々に出逢うことができた。
  • 経済難や精神疾患への偏見から、謙虚になることを学んだ。
  • いじめや家庭内の問題から「愛すること」「愛されること」の大切さを学んだ。
違う見方は今までもできましたが、この日ほど素直にこれらの事実を受け入れることのできた日はこれまで一度もありませんでした。おそらく、今までは私と似たような境遇にある方にお会いすることも無かったので、心のどこかで「どうせ私のこの思いなんて、分かってもらえないのよ。」という諦め、怒り、もどかしさの混じった、ある種ひねくれた感情を持っていたため、素直になれなかったのだと思います。

しかし、あの日、私と似た経験をしたお二人の女性にお会いして、ようやく素直になれました。そしたら、今までネガティブにしか見ていなかった経験を「恵み」として捕らえることができるようになりました。そして、これらを真に「恵み」と捕らえることができるようになった瞬間、心に光が差し込んできました。「かわいそう」と自分を見ているうちは、本当に辛いだけなんですね。

この経験は、いい意味でとても強烈なものでした。まるで生まれ変わったかのような感覚を私は感じたからです。

あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。(エフェソの信徒への手紙 5:8)

帰り道、この聖書の御言葉が心に響いてきました。あの日を境に、もう一度私は「生きよう!最後の日まで、キリスト者としてすべてを主に委ねて、主のお仕事のために生きよう!」と決心しました。これから、もっともっと辛いこと、苦しいことがあると思います。しかし、今日まで私はさまざまな人々に生かされてきました。内分泌内科の肥塚先生、神経精神科の担当医、ソーシャルワーカー、牧師先生、伝道師、友人。「生きていて、生かされてきて本当に良かった!」 と言えるように生きることが、この方々や神様への最高の恩返しだと理解しています。

嬉しい時も、辛い時も、常に御恵みの一つ一つに感謝する、という生き方を心がけていこう、と強く思います。

2010年7月11日日曜日

先端巨大症と摂食障害から学んだこと

「ありのままの自分を受け入れる、愛することができるようにしよう」
「表面的な物に囚われないようにしよう」

7月4日にお会いしたお二人の闘病の先輩(Yさん、Kさん)から学んだことについて、今日はもっと踏み込んで書いていきます。

3人でランチを食べている時、Yさんは私に「あなたは今、何が1番辛いと感じるの?」と尋ねました。私はこれと全く同じことを精神科に入院した際、病棟担当医にも訊かれました。 先生には「病気が辛いです。仕事と闘病が両立できなくて、周囲の理解を得られている気がしなくて、それで辛いんです。」と答えました。私はずっとそうだと思っていました。確かに、この答えは間違いではありません。でも、それだけで抑うつ状態にプラスして自傷行為に走ったり、摂食障害になったりするでしょうか?

この質問をYさんからされた時、私は正直に「分からないんです。」と答えました。何が苦しいのか分からない。とにかく「辛い、苦しい」と感じると、その感情から行動にショートカットしてしまうんだ、とご説明しました。

その後、色々とお二人のお話をお聞きするうちに、最初の質問の答えが見つかりました。私が本当に辛かったのは、先端巨大症という病気自体ではなく、「ありのままの自分を受け入れることが出来なかった、愛せなかった」ということだったんです。自分のことを愛せていれば愚かな減量で外見を変えようとはしなかったでしょうし、自傷行為もしなかったでしょう。本当に私が自分自身を愛していれば、また受け入れていれば、どんな外見であれ無条件的な愛をもって、自分を大切にしていたはずです。ところが私はそれができなかったのです。 

自傷行為によって愛せない自分を罰することで満足しようとしました。しかし、そんな行為で自分の心を満たすことなんて出来る訳がありません。なぜなら、私の求めていたものは「愛」「受容」であって、「罰」ではなかったからです。

摂食障害の愚かな減量で私は自分の外見を変えようとしました。しかし、減量すればするほど私は「太っている」と感じるようになり、決して自分の体型に満足することはありませんでした。なぜなら、私の求めていたものは体重や体型なんかにとらわれない、「無条件的な愛」だったからです。
 
「自分のことを愛せない、受け入れることの出来ない」という理由に、都合よく先端巨大症を言い訳に使っていただけなのかもしれません。
  • アクロメガリーの私の顔は綺麗ではないから嫌い」
  • アクロメガリーの大きい足は女性らしくなくて嫌い」
  • アクロメガリーの体型はバランスが取れてなくて嫌い」
 といった具合に、自分を嫌いな理由にことごとく先端巨大症を利用してきました。

先端巨大症で外見が変わるのは事実です。そして、外見の変わる病気は確かに辛いです。しかし、そういった表面的なものに囚われずにあるがままの自分を受け入れる強さを養うことこそが、私の課題だったのです。そう考えたら、私はむしろ先端巨大症になって良かったのかもしれない、と思いました。

YさんとKさんにお会いして私は自分を愛すること、大切に思うことの大切さを学びました。そして、あの日を境に私は自分を愛するようになったのです。「アクロメガリーであっても、また太っていても痩せていても、私は私を大切に思う。どんな外見であれ、私は私が好き。」と思えるようになりました。そして、自分を愛することは実に正当なことであることも学びました。

自分を受け入れ、愛することができるようになったら、私の心はとても穏やかになりました。他の人との比較の中での「条件的な愛」によって自分をなんとか受け入れようとする必要がなくなったからです。また、他の人と比較することをやめたので、周囲の人はもはや「競争相手」ではなくなりました。ですから、他の人も愛することが以前よりも容易になりました。

自分を愛することがいかに重要かを考えさせられただけでなく、実際にそうすることができるようになった大切な日となりました。

2010年7月7日水曜日

学びの1日

本日は七夕ですね。実は3年前の今日、つまり2007年7月7日は私にとって特別な日なんです。私がサンドスタチンLARを始めて手にした日です。以前にもお話しましたが、アメリカでは筋肉内注射剤も、自分で薬局で買って、病院やクリニックに持参するのですが、このお薬が高かったのと保険との兼ね合いでなかなか手に入らず、何度も諦めた後、ようやくサンドスタチンLAR(20mg)を購入した日でした。
------------------------------------

闘病の「仲間」(先輩)にお会いして

7月4日(日)は米国独立記念日でした。また、同時にキリスト教としては、第一主日(月の最初の日曜日)なので、メソジスト教会(メソジストに限らず、日本基督教団は全部かな?)では聖餐式(せいさんしき)と呼ばれる、パンとぶどう液の儀式(聖礼典と呼んだりします)があるのですが、私は今回は参列しませんでした。聖餐の恵みにあずかることは無かったのですが、その日、それと同等の御恵みにあずかることになりました

この日、私は同じ先端巨大症を持つ方2名の方にお会いする機会が与えられました。非常に素敵な出会いでした。お2人とも4回のオペを経験されていて、治療経験をお聞きしていて、私なんかよりもずっとずっと壮絶で辛い思いをされてきたんだろうな、と思いました。しかし、そういった体験談をお聞きしているうちに「あぁ、ようやく私が今まさに苦悩していることを本当の意味で理解して下さる方にお会いできた!」「私のように葛藤しても、乗り越えられるものなんだ!」と癒され、また勇気付けられました

また、 お2人が病気を通して得たことをお聞きして、私の中でも大きな「学び・気付き」がありました。それを、とっても簡単に要約すれば下記の3点です。
  • ありのままの自分を受け入れる、愛することができるようにしよう
  • 表面的な物に囚われないようにしよう
  • 自分のことを「可哀想」と思うのは、もうやめよう
これらの決心をした時、私はこの日、本当に重要な生きるヒントを得たことに気付きました。
帰りに所属教会に書類を取りに立ち寄った際に、先生に「いつになくスッキリした表情をしていますが、何かあったんですか?」なんて言われました。きっとお二人から頂いたポジティブなエネルギーと生きるヒントを得たことが表情に現れていたんでしょうね。

また不思議なことですが、この日を境に私の食行動は正常に戻りました。過食衝動も食後嘔吐も拒食も無いです。お2人からは本当に「生きる力」を頂きました。同時に、今までずっと私は自分の内分泌内科医と精神科医には特に生きる力を与え続けられていたんだな、と改めて気付き、この2名の先生にはメール、お手紙を書かずにはいられませんでした(私の得意?な「一方的自己満足的コミュニケーション」です 笑)。他にもずっと私を支え続けて下さった方々(、そして、クリスチャンとして、もちろん「主」)に対して感謝の気持ちで、その夜、嬉し涙が止まりませんでした。

これらの「学び・気付き」について今後、少しずつ書いていきたいと思います。

----------------------------------------
最後に、この七夕の日の私の願いごと:
  • 世界中の人々の心が平安の内にありますように
  • 生きる気力を失った者に希望が与えられますように
  • 孤独の内にある者に友が与えられますように
  • 医療現場の問題に改善がもたらされますように
  • 全ては主の御心のままになされますように