2010年3月22日月曜日

自殺対策強化月間にお話したいこと

弱さを見せる強さ

ここで大告白すべきでも無いのかもしれませんが、3月は自殺対策強化月間なので、投稿するなら今かな、と思ったので、書かせていただきます。

私は今月、3月13日(土曜)の深夜から14日(日)にかけて自殺を図りました。
ご丁寧に長い遺書まで用意しました。
処方せん薬の大量服薬、飲酒の後、ロープに首をかけました。
行為に至るまでに何度も頚動脈の位置をチェックしたにも関わらず、意識が朦朧としてしまったせいか、ロープがしっかりと頚動脈を圧迫していなかったのと、縄目が緩んでしまったので、まだここにいます。

「リハーサル」をした時には、確かに「ここだ!」と分かっていたのに;過去に何度かやっていて手馴れているはずだったのに(いずれも病院内だったので死ぬ前に保護されています)、なぜか失敗しました。

翌日、つまり月曜日に予約外で担当医に非常に丁寧に、慎重にご対応していただきました。私がこの件について、牧師先生にも友人にも家族にも話していない、と言うと「弱い自分を見せること、って重要なことなんだよ。」とたしなめられました。

私の周囲からのイメージの中には少なからず下記のものがあります。
  • 常に前向き、ポジティブ人間
  • 逆境に絶えうる強い精神力の持ち主
  • 悩みは自分で解決できる
  • 抑うつ状態などとは無縁の存在
  • 常に笑顔
  • 弱音を吐かない
  • 敬虔なクリスチャン
このブログの読者の方はもう、お気付きかと思いますが、私は非常に弱い人間です。
  • 現に精神科のお世話にまでなっている、精神疾患患者です。
  • 過去に3度の精神科緊急入院をアメリカでしています。
  • 抗うつ剤を飲んでいた時期もあります。
  • 今はAD/HDのお薬でAD/HDとうつ病を同時に治療しています。
  • 精神安定剤、抗不安剤、睡眠導入剤も服用しています。
私が経口で服用するお薬のほとんどは精神科で出されているお薬なんです。

しかも、担当のO先生は多剤処方には大反対で、「自己治癒力」を盛んに訴える先生なんです。その背景を考えると、今の私の薬の種類は多い方かと思います。つまり、それだけ複雑なのか、重症なのか、またはその両方なんでしょうね(ため息)。

まぁ、お薬のことはさておき、私にとって上記の周囲から見た私の印象のリストにはかなりプレッシャーを感じてきました。いつも、皆に相談を持ちかけられるタイプで、私の方から相談、ってなかなかなかったのです。いわゆる、「頼られる存在」としてのアイデンティティがあまりにも強く出来上がってしまっていたのです。そんな感じなので自分の弱さを他人に見せる、なんて私からしたら「とんでもない」考えでした。

しかし、今回の自殺企図の後、O先生とお話していて感じたのは「虚勢を張るのはもうやめよう。助けが必要な時には助けを求めよう。私が死んでからではもう遅いんだ。」ということ。私が泣ける場所って今は病院の診察室内と自宅で一人でいる時ぐらい。辛い時につらい気持ちを共有できる友人や家族(家族は論外です!)はこの自殺企図前は皆無でした。(友人でこのブログをお読みの方々、申し訳ありません)

そんな私を変えたのはO先生でした。月曜日(15日)、「私、生きていてもいいんですか?」と泣きながら訊くと「あなたは生まれてきたんだから、生きていて良いんですよ。」とおっしゃって下さいました。私が診察室を出ようとした時、両手を若干強く握って下さいました。アメリカの牧師先生がよくお祈りする時にやって下さったように腕がクロスしているのを見て、「そうだ、私はアメリカでは少なくとも牧師先生には相談していた。自殺も、うつも、罪ではない、病気なんだ、って私の心に寄り添ってくださった。」と思い出しました。そして、O先生は力強く私に言い聞かせました。
「死んじゃ駄目!生きるんだよ!絶対に生きるんだよ!」
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今回、ODプラス絞首を選んでいるので、かなり致死性は高いメソッドにも関わらず私が助かったのは奇跡と言っても過言ではないと思います。

実は私が首にロープをかける直前、聖書をぱらぱらっと開いたのです。
最期に主はどんな御言葉を私に与えて下さるのかしら?と思ったからです。
すると、たまたま開いたページでたまたま私の目に留まった御言葉が次のものでした。
どうして時も来ないのに死んでよかろう。
(コヘレトの言葉7:17)
あの一節を目にした時、私は一瞬思いとどまりました。あの御言葉が与えられたのは単なる偶然ではなく、やはり神様が私を止めようとしていたんだと信じています。ですから、「これから私は重大な罪を犯してしまうんだ」と思いました。「こんな馬鹿げたこと、やっぱりやめよう」とも思いました。でも同時に「どうしても私は死ななくてはいけない」という焦燥感に駆られており、もはや止めようがなかったのです。もう、どうして死にたいのかもよく分かっていなかったんだと思います。

「神様、僕(しもべ)はもう生きてゆく力を失いました。イエス様は一緒に十字架に貼り付けにされた悪人をもお救い下さいました。私も罪人(つみびと)ではありますが、どうか御心(みこころ)がお許しになるのでしたら、どうか私をも、こんな罪深い私をもお救い下さい。分かっていながらもこんな罪をこれから犯そうとしている僕(しもべ)をどうぞお許しください。」 
とお祈りしました。

それから一気に私はロープに体重をかけました。しかし、この一瞬の思いとどまりがきっとロープの位置をずらしたのでしょう。また、首吊り用の結び方(普通の結び方では駄目なんですよ~)をしたにもかかわらず縄目が緩んだ、ということも考慮にいれると、本当に神様が私を救って下さったんだと思います。
主よ、あなたはわたしの魂を陰府(よみ)から引き上げ
墓穴(はかあな)に下(くだ)ることを免れさせ
わたしに命を得させてくださいました。
(詩篇30:4)
先週の金曜日、思い切って牧師先生に全てを打ち明けました。
牧師先生は私のこの一連の行動に関して責めることは一切しませんでした。
むしろ、私の心に寄りそう様に色々とお話をして下さり、お祈りして下さいました。

自分の弱さをさらけ出すことは勇気が要りますが、それこそが本当の強さなのかな、と今では思っています。
皆さんも、生きることを簡単には諦めないで下さい。
今、苦しくて苦しくてどうしようもないかもしれません。
それで、最終的に私のように自殺を決心してしまったとしても、行為に移す前に少なくとも自分が信頼できる人、大切に思っている人にはそのことについてお話して下さい。

これが、自殺未遂者からのメッセージです。

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