2010年1月29日金曜日

私の生き方のモデル

聖路加の日野原重明先生は数々の本のなかで「生き方のモデルを見つけなさい」といったことを仰っています。私には実に様々なモデルがいらっしゃいます。日野原先生もそのお一人ですが、今日は大学時代にもっとも私に影響を与えた人物についてお話させていただきます。

「生きること」の意味は自分で見つけるもの

アメリカに留学中、Victor Frankl(ビクトール・フランクル)の"Man's Search for Meaning"(「夜と霧」)という本に夢中になっていた時期がありました。特に彼の次の言葉にはグッと感じるものがあります。
It did not really matter what we expected from life, but rather what life expected from us.
 私流に訳せば「私たちが与えられた命に何を期待するか、ということはもはや重要ではなく、むしろ私たちの命が私たちに何を期待しているのか、ということが問題なのです。」といった感じでしょうか。

 やはり私は日本語訳が苦手です。

この言葉は慢性疾患と共に人生を歩み始めてからより一層、私の中では重要な言葉となり、人生のスローガンとなりました。私は様々な苦境の中で「私の人生はこうであってくれればいいのに/こうであってくれればよかったのに」と思いがちです。これが先ほどのフランクルの言葉でいうところの「与えられた命に何を期待するか」の部分です。

しかし、それではあまりにも消極的な生き方だと思いませんか?「病気なんかにならなければよかったのに。」「先端巨大症が完治すればいいのに。」「疲労感なんてなくバリバリ仕事ができればいいのに。」「裕福だったら医学部に入りたかったのに。」などなど。そうではなく、「命が私たちに何を期待しているのか」に注目するべきですよね。

私たちの人生において、起きるべき事は起きてしまうんです。私の人生では大学入試を失敗する、ということが起きました。先端巨大症になる、ということが起きました。教授になりたい、という夢を諦めなくてはならない、ということが起きました。これらは全て私の人生の一部です。これら一つ一つの出来事が「さぁ、あなたにはこんなことが起きましたよ。あなたはどんな対応をしますか?どう、受けとめますか?」と私たちのパフォーマンスを待っているんです。

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フランクルはユダヤ人で、ナチスの強制収容所での過酷な経験から生の意味について考えました。そんな中、彼が行き着いた結論は、私たちの人生における全ての経験には意味がある。いや、意味がもともと存在するのではなく、もっと正確に言えば、私たちは人生の経験の一つ一つに自分なりの意味を見出す必要がある、といった内容でした。

難病患者の皆さん、そうでない皆さん、今一度、現在の辛い経験を真正面から見つめ、その中に自分なりの意味を見出してみてはいかがでしょうか?病気になったからこそ得たことが、あるいはその他の辛いことを経験したからこそ得たことが案外沢山あるのではないでしょうか?それはこれからの人生で(あなたの人生かもしれないし、あなたの周りの方々の人生であるかもしれない)プラスになることも実は結構あるのでは、と思います。

私は辛いことがあると、お祈りしつつ、冒頭に挙げたフランクルの言葉を噛締めます。 そうすると不思議と、こんなうつ病患者であるにもかかわらず「もうちょっと生きていてもいいかな?」と思えてくるのです。

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