2010年1月31日日曜日

アメリカにおける診療-その5

筋肉内注射剤も患者さんが持ち込み

今日はうつ症状がマックスです。大量服薬はしない約束を精神科医と結んでいるので、今はただ耐えるしかないです。聖書には「わたしは疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす(エレミヤ書31章25節)」とあります。その御言葉を胸に、なんとか今晩を乗り切ろうと思っての投稿です。

筋肉内注射剤って自分で買って持っていくのではないんですか?

以前、ミシガン州立大学での内分泌内科の初診についての投稿で書かせていただきましたが、アメリカでは筋注の薬も自分で薬局で購入して、投薬当日に病院やクリニックに持っていくんです。PAPのような製薬会社のご好意で、低所得者として無償でお薬をいただいている、というケースを除けば、そういった形式になります。たとえば、私のサンドスタチンLARは次のようになります。
  1. ドクターからサンドスタチンLAR(20mg)の処方箋をいただく。
  2. 処方箋薬局に行き、薬を購入。
  3. 投薬日まで、自宅の冷蔵庫で薬を保管。
  4. 投薬日当日、病院に電話連絡。
  5. サンドスタチンLAR(20mg)を持参し病院へ。
  6. 病院で受付を済ませたら、薬を看護師さんに渡す。
  7. ドクターの診療無しに投薬。
といった流れです。 こんな感じなので、患者の責任は大でした。保存状態や投薬当日までに薬を手配する責任が嫁せられていました。

 
私がSparrow Hospitalの薬局で購入したサンドスタチンLARです。
帰宅して、すぐに冷蔵庫の温度設定を確認しましたよ。
 
面倒ではありましたが、「自分で自分の健康管理をしている」という自覚が持てて良かったです。

ただ、気になったのが、アメリカでサンドスタチンLARの投薬をしていただいた時、日本と異なる点があったんです。色々あるなかで一番気になったのが投薬時の体勢。アメリカでは患者さんが診察台に座った状態での臀部(でんぶ;つまりお尻)への筋注だったのですが、日本では横になった状態でこの投薬が行われます。また、この筋注は注射部をローテーションするのですが、日本では患者さん用の手帳が用意されていて、記録がその手帳とカルテに残ります。しかし、アメリカでは、少なくとも私がお世話になった2施設では自分で記録・管理させられました。

そんな背景があったので、女子医大のお世話になって初めの頃は自分の「診療ノート」に投薬部位を記入していたのですが、近頃では、この便利な日本のシステムに慣れてしまって、すっかり看護師さんまかせになってしまっています。投薬のためにベッドに横になる際にやはり自分で把握していた方が看護師さんも楽だと思うので、初心に戻ってしっかりその辺を把握しつつ投薬していただくようにしないとなぁ、と思っている今日この頃です。

さらに、筋注でも臀部でない場合、(たとえば太もも)患者さん自ら投薬することもアメリカ、カナダではよくあります。 Acromegaly Communityの代表理事のWayneの投薬をここに掲載させていただきます。説明は英語ですが動画なのでなんとなく分かると思います。ご参考までに。


海外の先端巨大症患者会の代表理事、Wayne(ウェイン)がソマチュリン(ランレオチド;日本未承認薬)を自分で投薬しています。筋注の自己投薬はアメリカでは珍しいことではありません。

2010年1月29日金曜日

私の生き方のモデル

聖路加の日野原重明先生は数々の本のなかで「生き方のモデルを見つけなさい」といったことを仰っています。私には実に様々なモデルがいらっしゃいます。日野原先生もそのお一人ですが、今日は大学時代にもっとも私に影響を与えた人物についてお話させていただきます。

「生きること」の意味は自分で見つけるもの

アメリカに留学中、Victor Frankl(ビクトール・フランクル)の"Man's Search for Meaning"(「夜と霧」)という本に夢中になっていた時期がありました。特に彼の次の言葉にはグッと感じるものがあります。
It did not really matter what we expected from life, but rather what life expected from us.
 私流に訳せば「私たちが与えられた命に何を期待するか、ということはもはや重要ではなく、むしろ私たちの命が私たちに何を期待しているのか、ということが問題なのです。」といった感じでしょうか。

 やはり私は日本語訳が苦手です。

この言葉は慢性疾患と共に人生を歩み始めてからより一層、私の中では重要な言葉となり、人生のスローガンとなりました。私は様々な苦境の中で「私の人生はこうであってくれればいいのに/こうであってくれればよかったのに」と思いがちです。これが先ほどのフランクルの言葉でいうところの「与えられた命に何を期待するか」の部分です。

しかし、それではあまりにも消極的な生き方だと思いませんか?「病気なんかにならなければよかったのに。」「先端巨大症が完治すればいいのに。」「疲労感なんてなくバリバリ仕事ができればいいのに。」「裕福だったら医学部に入りたかったのに。」などなど。そうではなく、「命が私たちに何を期待しているのか」に注目するべきですよね。

私たちの人生において、起きるべき事は起きてしまうんです。私の人生では大学入試を失敗する、ということが起きました。先端巨大症になる、ということが起きました。教授になりたい、という夢を諦めなくてはならない、ということが起きました。これらは全て私の人生の一部です。これら一つ一つの出来事が「さぁ、あなたにはこんなことが起きましたよ。あなたはどんな対応をしますか?どう、受けとめますか?」と私たちのパフォーマンスを待っているんです。

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フランクルはユダヤ人で、ナチスの強制収容所での過酷な経験から生の意味について考えました。そんな中、彼が行き着いた結論は、私たちの人生における全ての経験には意味がある。いや、意味がもともと存在するのではなく、もっと正確に言えば、私たちは人生の経験の一つ一つに自分なりの意味を見出す必要がある、といった内容でした。

難病患者の皆さん、そうでない皆さん、今一度、現在の辛い経験を真正面から見つめ、その中に自分なりの意味を見出してみてはいかがでしょうか?病気になったからこそ得たことが、あるいはその他の辛いことを経験したからこそ得たことが案外沢山あるのではないでしょうか?それはこれからの人生で(あなたの人生かもしれないし、あなたの周りの方々の人生であるかもしれない)プラスになることも実は結構あるのでは、と思います。

私は辛いことがあると、お祈りしつつ、冒頭に挙げたフランクルの言葉を噛締めます。 そうすると不思議と、こんなうつ病患者であるにもかかわらず「もうちょっと生きていてもいいかな?」と思えてくるのです。

離脱症状&ドラッグラグについて

前回の投稿で書いたメイラックスの離脱症状については女子医大の神経精神科の予約外の先生に電話相談をしました。

それにしてもなぜ、私は離脱症状を恐れるのか?-それは私は以前、ドラッグラグが原因で、とんでもない離脱症状を経験しているからです。

離脱症状について相談

アメリカでうつの治療を始めた私は日本では未承認の優れた薬を服用していましたが、帰国に際してそれらの薬をやめなくてはいけなくなりました。特に辛かったのはベンラファキシン(エフェクサー)というSNRI系の抗うつ剤。この薬はひどい便秘の副作用こそあれ、結構効いていたお薬です。同じSNRIのカテゴリーに属するトレドミン(日本では唯一のSNRI)に比べれば、私にとっては素晴らしいお薬でした。ただ、エフェクサーは離脱症状の酷さで非常に悪名高い抗うつ剤です。何せお薬を飲むのがいつもより2~3時間遅れるだけで離脱症状が現れるようなものでした。ショック様感覚、頭痛、めまい、いらいら、など散々たるものです。それを日本で承認されていないから服薬できません、ってひどい話です。アメリカでかかっていた精神科医に日本で認可されている抗うつ剤のリストを持っていくと「これしかないの?SNRIが一種類って冗談でしょ?この中で君に使えるのはミルナシプラン(トレドミン)とトラゾドン(デジレル)ぐらいではないかな。」("You gotta be kidding! This is it? I mean, only one med under the SNRI category? Hmm, I would suggest milnacipran and trazodone. These are the only ones I can think of.")と驚くと同時に私を哀れんでいました。

結局、エフェクサーから他の抗うつ剤(トレドミン)への移行には女子医大のような、海外の薬について知識を持った先生のいらっしゃる、優れた病院の助けが必要となりました。(というか、それが私の希望だったので、女子医大さんで診て下さるようになったみたいです。)

先端巨大症の検査入院中、同時に抗うつ剤の移行もしていただきましたが、正直言って地獄でした。あまりもの辛さに病棟では夜中、隠れてふだんやらない自傷や自殺ジェスチャーをしたり(本当にバレていなかったのか気にはなりますが。アメリカだったらバレた瞬間に精神科病棟送りです)、気を紛らわすのに階段を1階から10階まで行ったり来たり。看護師さんには「ずいぶん元気がいいのね」と言われてしまいました(汗)。「日中は普通に振舞おう」と思って頑張るのですが、消灯時間後はベッドで聖書を抱えて静かに泣いていることが多かったです。

そんな経験があるので今回、メイラックスを簡単にやめられそうにない、と気づいたときはパニック!「また、あんな辛い思いをするなんて懲り懲り。もう生きていたくない。」

そんな私を当番医の先生は「今はまだ(メイラックスを)減らせる状況ではないのかもしれません。気長にやっていきましょう。症状が良くなって必要なくなればそんなに辛い思いをしなくても減らせるはずですよ。」と仰って下さいました。そうか、そうだった!別に誰も「今すぐやめろ」なんて言っていないし、そうする必要もない。前回とはわけが違う。

結局、「原則1mg、ただし調子の良いときは0.5mg」となりました。

ドラッグラグについて

それにしても、この私のエフェクサーの体験を読んでどう思いましたか?確かにエフェクサーの離脱症状は問題で、アメリカでも「始めると、やめることのできない薬」という印象の強い抗うつ剤です。ただ、こんな薬だってうつには有効で、少なくとも私の命をつないでくれました。それなのに帰国と同時に、それをいきなり取り上げられたわけです。

あんなに有効な薬を日本のうつ病患者の皆さんは恩恵にあずかることができないなんて不公平だな、と思ってしまいます。去年の9月に発売開始されたばかりのリフレックスという抗うつ剤に至っては、アメリカではすでにジェネリックが出ていました。他のお薬だってそうですよね。より副作用の少ない抗がん剤や、先端巨大症のお薬にも日本では未承認のものもあります。私はたまたま先端巨大症にはサンドスタチンLARをアメリカでも使っていたから良かったわけで、もしもランレオチド(ソマチュリン;日本未承認) だったら、またまたパニックだったでしょう。

確かに過去にサリドマイド事件のような苦い経験はあるので、日本の海外の薬剤に対する強い警戒心は分からなくもありません。しかし、だからといって承認にこんなに時間をかけてもいいのでしょうか?人の命のかかっている問題なんです。もうちょっと敏速にことを進められないのかなぁ、とどうしてもぼやいてしまいます。

2010年1月27日水曜日

メイラックスがやめられない

パニックが起きやすい
眠りが浅いから疲れやすい
自殺願望

マイナートランキライザーのメイラックスの減量がうまくいっていません。
去年、一時的に中止した時は簡単にやめられたので、今回もスムーズにいく、と思っていたのですが、見事に予想を裏切られました。

11月までメイラックスを夜に1mg錠を1錠、という処方でした。
12月になってそろそろ、このお薬をやめよう、ということになり、1日おきに飲むようにしたのですが、騒音やネオンの激しい(私は「刺激がうるさい」と表現します)ところにいるとパニックというかどうしようもない焦燥感にとらわれるようになってしまい、急いでメイラックスを頓服する、という本来あるべきではない飲み方をしていることに気づいたので、また1日1錠に戻してしまいました。

1月に入って、1mg錠を半分に割って飲む、つまり1日0.5mgづつ、という処方になりました。これは1日おきよりはマシなのですが、やはり辛いです。まず、眠りが浅くなったので目覚めが悪く、疲労感もひどいです。ただ、パニックはこの半錠のほうが一日おきより起きにくいです。それでも、自殺願望は0.5mgになってから酷くなりました

さすがにこの離脱症状に耐えられなくなり今は1mgと0.5mgを交互に服用しています。たとえば、昨日1mgだったら今日は0.5mg、明日は1mgといった具合です。これでだいぶ離脱症状は軽くなりました。しかし、こんなことを勝手にするのはやはりマズイように思います。次回の診察は2月25日ですが、なんとか持ち越せることを祈っています。

私のメイラックス歴は長いです。2008年の12月から始めたので、もう1年以上です。いくら、メイラックスがベンゾジアゼピン系の中では依存性が最も少ない、とはいっても、さすがに1年もすると体がメイラックスに依存しているのでしょう。

別に今すぐにやめる必要はないのですが、いずれやめなくてはならないので、そのことを考えると非常に不安になります。

こんなことをぼやきながら、いただき物のGODIVAのココアを飲んでおります。日本での生活が帰国後3年目の私にとっては懐かしい味です。あぁ、アメリカに帰りたいなぁ。日本での生活は息が詰まりそう。

2010年1月24日日曜日

通院(1月21日)- 内分泌内科

「肥塚現象」
甲状腺エコーの日程が決定
肥塚先生にお会いして、もう2年!

つい最近、誕生日を迎えて、めでたく27歳になりました。と同時にIGF-1の基準値のハードルがまた厳しくなりましたよ~。26歳の時は146~336ng/ml だったのが今度は141~328ng/ml!年を重ねるごとにこのハードルが厳しくなるわけです。でも、しっかりコントロールされているからいいかしら。今回のGHは1.92ng/ml、IGF-1が244ng/mlでした。

今回も、診察は「調子はどう?」から始まりました。今回は「ぜったいに『まぁまぁ』なんて言わない!」と決めており、最初に言うこともだいたいは決めていました。「うふふふ。。。」これから言おうとしていることを考えると、思わず笑いが込み上げてきます。「あぁ、そうだ!『まぁまぁ』だっけ。」先生!ちょーっと待った~!!しかし先生は既に電カルになにやら打ち込んでいます。「えーと、『体調はまぁまぁ』」

「いやいや、先生。『肥塚現象』が起きているんですよ~。」
言ってしまいました!
「なんなのよ、肥塚現象って?」
パソコンに向かっていた先生が、キーボードを打つのをやめて、私に真正面からご対面。若干、後方に体を構え、意味ありげな笑顔で私を見ています。この状態ではさすがに気恥ずかしい感じです。英語で言えばさりげなく言える一言、でも日本語で言うとちょっと照れてしまいます。
「肥塚先生にお会いすると元気になるんですよ。」
(I feel great when I see you.)
「なんなの、それ(爆笑)。」
豪快に笑って下さいました。

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まじめなお話、肥塚先生にお会いする直前まで、どんなに辛い思いをしていてもなんだか先生にお会いすると本当に元気になるんですよね。不思議です。なんだか"Everything will be all right"(全てうまくいくよ)という気分にさせる何かを持っていらっしゃるんですよ、この方は。

2008年、検査入院中のある日、患者さんたちはいつものように「この先生はこうだ」「あの先生はああだ」というお話をラウンジでしていました。「あなたも肥塚先生でしょ?」と1人の女性の患者さんが私に聞いてきます。「はい、肥塚先生ですね。今はN先生と立木先生に診て頂いていますが。」私が答えると、その方は「肥塚先生は良い先生よね。あの方はサバサバしているからいいのよ。」と仰っておりました。私はこの患者さんに反論するわけではないのですが、私の目には肥塚先生は「サバサバしている」ようなカンジではありません。先生の医師としての魅力が何に起因するのか、あの時は分からなかったのですが、温かさ、人間らしさ、情熱、バイタリティー、というものが凄い強いのかな、と最近では感じています。

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まぁ、私の肥塚教授論はさておき、今回も長居してしまい、お忙しい先生にはご迷惑をお掛けしてしまったかな、とちょっと反省中です。先生にお聞きしたい質問が沢山あったのでつい長くなってしまいました。サンドスタチンと甲状腺ホルモンについて、大腸内視鏡について、多結節性甲状腺腫について、などと色々とご質問させていただきました。結局、甲状腺エコーを4月にすることに決定しました。

実は、甲状腺は前々から気になっていたんです。Low T3 Syndrome(T3が低値だけど、T4は正常)もなんですが、これは消耗性疾患や栄養状態でなるものだからあまり心配しなくて良い、と何回か教えていただいていたのですが、あんまり疲労感がひどいのと、甲状腺がたまに痛いので心配だったんです。アメリカでは「一年に一回は画像診断して経過観察しましょう。」と言われていたのを肥塚先生にしっかり伝えていなかったんです。今回ようやく2年ぶりのエコーを受けるので少しホッとしました。それでも、今まできちんと甲状腺などのホルモンの検査は定期的にして下さっていたんですけどね。

診察の終わりに「先生、明日(22日)でちょうど、先生に初めてお会いしてから2年になります。」と私が言うと先生は大きな握手をして下さいました。私はあの瞬間、本当は涙が出るほど嬉しかったです。この2年間のことを想うと感無量でした。何度、私は肥塚先生に救われたことか!何度、私は先生の笑顔に励まされたことか!何度、私は先生に寛容にご対応していただいたことか!今までの先生への感謝の想いがどっと流れた瞬間でした。

その後、先生は私の退院後始めての診察の時のようにケアルームにご同行して下さいました。看護師さん方を見たとき「先生だけではなくて、この方々にも私は支えられてきたんだな。皆さん、本当にありがとうございます。」と心の中で思っていました。

他にも色々とお話をし、書きたいことは山々なのですが、今回はこの辺で。

2010年1月21日木曜日

アメリカにおける診療-その4

ほとんどジェネリック!

今回は後発医薬品(ジェネリック)のお話です。

ジェネリックが当たり前ではないの?

アメリカでは処方せん薬もジェネリック(後発医薬品)のあるものはほとんどジェネリックで済ませます。というのも、ジェネリックだと保険で非常に優遇されるからです。例えば私の入っていた健康保険では、患者負担分がブランド(先発医薬品)がジェネリックの2倍の価格でした。つまり、ジェネリックにすれば50%オフのわけです。例えば、抗うつ剤のような高いお薬の場合、ブランドが30日分で70ドル(約7千円)だとすると、ジェネリックでは35ドル(約3500円)。

医療費が日本に比べ、非常に高い国です。出来るだけ、お薬代などで節約したい、という思考がどうしても働いてしまいます。どっちみち効き目もほとんど同じ、となると「ジェネリックでもいいか。」となります。

しかも、薬局では当然のように初めからジェネリックを準備します。お会計の段階で「なんでジェネリックなの?ブランドにしてよ。」という患者さんにはアメリカで、少なくともニューヨーク、ミシガン、インディアナではお目にかかったことがありません。逆はよくあります。まだジェネリックが出ていないお薬だから仕方なしに薬剤師さんもブランドを用意したにもかかわらず、「どうしてジェネリックにしてくれないの?」というのをよく耳にしました。

日本ではまだまだジェネリックはアメリカほど浸透していないように思います。私は日本で一度だけ「その点鼻薬、確かジェネリックありましたよね?」と言って、ブランドから変えてもらったことがあります。 ただ、アメリカと違って日本ではジェネリックがブランドに比べて極端に安い、というイメージが無いのですが・・・。それならわざわざ効き方がブランドと異なるものに賭けるよりは確実なブランドを、と思ってしまいます。私の点鼻薬の場合、百数円の違いでした。(なんだか、がっかりしました。)

もっと低価格のジェネリックが出たら、私ももっと積極的にジェネリックにするのですが・・・。

以上、後発医薬品についてでした。

2010年1月17日日曜日

アメリカにおける診療-その3

 疼痛管理について

モルヒネってターミナルな患者さんだけ?

アメリカにいた頃、私は強烈な頭痛で何度かER(救急外来)のお世話になりました。また、脳下垂体の手術後、髄液漏を起こして激しい吐き気と頭痛で、何度もナースのお世話になりました。そのたびに私の点滴の側管に注入されていたお薬はオキシコドンヴィコディンモルヒネといった麻薬系のものでした。(ヴィコディンはマイケル・ジャクソンで有名になりましたね)

まず、酷い頭痛と吐き気でERに行った時のいつものパターンが、まずプロメタジン(抗ヒスタミン系の吐き気止めです)にヴィコディンオキシコドンといった比較的マイルドな麻薬系鎮痛剤を側管で行って、様子を見ます。それでも効果が無い場合、モルヒネの登場です。麻薬と言われると怖いかもしれませんが、別に常用ではないので依存も無かったです。私個人としてはこういったお薬は「上手に使えばペイン・コントロールには非常に有効」と認識しております。

ただ、私には必ずと言っていいほどヴィコディンが効かないんですよね。本当に酷い頭痛の時、生きた心地がせず、正直言って「なんで初めからモルヒネを投与してくれないんだろう?」と疑問でした。しかし、私はモルヒネの副作用も嫌いなので、「これからモルヒネを入れるよ~」とドクターのアシスタントが来ると「あぁ、ようやく痛くなくなる。楽になる。」という大きな安堵と同時に「これから数秒、呼吸が苦しくなって、体がこわばるなぁ。あぁ、やだやだ!しばらく苦しいけど数秒の辛抱だ。」という覚悟をして、投与されている間、目を硬く閉じていたのを今でもよく覚えています。

私はこの副作用を理由にモルヒネの投与を術後に拒否したことがあり、その時はオキシコドンで代用されました。しかし、結局、オキシコドンでは毎回といっていいほど嘔吐してしまい、そっちのほうがモルヒネの副作用より辛かったです。しかも、オキシコドンも効きが悪い。なんだかんだで私はモルヒネが一番よかったです。即効性もあったので本当に私にとっては最高の鎮痛剤でした。

帰国して、女子医大の脳下の先生にこれを報告したところ、「凄い(薬の)盛られ方をしたね」と驚かれてしまい、こちらがむしろびっくりしました。母は「日本ではモルヒネってターミナルな患者さんにしか投与しないんじゃない?」と言われてさらにびっくり!帰国後、私の発作的な酷い頭痛はさらに悪化しましたが、モルヒネを使えない、と知って私の痛みに対する恐怖心は非常に強くなりました。確かに数時間我慢すれば、じんわりと痛みがひく薬もあります。今はインテバン坐剤(インドメタシン)を使っていますが、本当に痛みが酷くてどうしようもないとき、やはり効かないんです。それで、あの恐ろしい痛みに耐えろ、ってあまりにも酷だと思います。(別に私の脳下がそう仰っているわけでは無いですよ。あくまでも一般論です。)

確かに安易に麻薬系のお薬を投与しないのは安全なのかもしれませんが、私にとっては「もう、痛みに対する解決策が無い」という絶望感となりました。せいぜい、2~3ヶ月に1回ぐらいのものなので依存もないでしょう。それでも、ターミナルでないと、どんなに痛みが酷くてもモルヒネを使わない、というのも問題だと思うのですが、日本の皆さんはいかが思われますか?

私は患者さんのQOLは痛みによって酷く低下する、と考えており、それを裏付ける論文も現に存在します。確かに、アメリカのように麻薬系薬剤をバンバン使うのも問題かもしれませんが、患者さんのQOLを考えたら、日本はモルヒネなどの麻薬系鎮痛剤をもっと積極的に使ってもいいのではないか、と思っています。

以上、疼痛管理についてでした。

2010年1月15日金曜日

通院(神経精神科)-1月14日

うつとADDは快調!
安定剤を半減
回復期対策(大進歩!!)

今日は腹痛から1日がスタート。お腹が冷えたのか、ストレスで過敏性大腸なのか、はたまた急性胃腸炎なのかよく分かりません。ただ、場所が女子医大だったので心配があまり無くて良かったです。なにしろ、体調不良になるのに病院ほど相応しい場所はないですからね。何かあったら、直ぐに処置してもらえますもの。なので、診察を待っている間、ほとんどずっとトイレにこもっておりましたが、不安感はありませんでした。でも、痛いものは痛く、一人もがいているのはある種、孤独な闘いでした。(と、描写はいかにも滑稽ですけどね。爆)

診察の呼び出しが入ったのは、私がまだ、お手洗いにいる時。急いで飛び出し、診察室に走っていきました(危険ですので、皆さんは真似をしないように!)若干、看護師さんの視線が痛かったです(汗)。

先生の「最近どうですか?」の質問に「調子は結構いいですね。」と一言。「今回のお薬、今までであなたに一番合っていたんではないですか?」はい、先生、まさにその通りです。まず、朝の目覚めが違います。「ああ、死にたい。まだ私は今朝も生きている。」というのが今までの目覚めの瞬間の思いでした。
  • 「なんでまだ生きているんだろう?」
  • 「今日こそ(線路に)飛び込めるかな?」
  • 「ウォッカでも買ってこようかな?薬はどれくらいあるかしら?」
  • 「ロープあるよなぁ。(首吊り)」
  • 「ここから(マンションの9階)から飛び降りたらちゃんと死ねるかな?」
という考えが朝一番の考えだったのが、今は、悪くても「まだ生きているけど、なんとか今日も乗り切ろう。死ぬのは明日でもいい。」と思えるようになりました。

また、先生は「やはりADHDの要素があったんですね。(笑顔)」とも仰いました。私はずっとそれで悩んできたんです。先生がストラテラを処方して下さらなかったら今でもADDの症状で悩んで、自殺願望は増す一方だったかと思います。 まっすぐ帰宅もできるようになったので体力が無い私は非常に助かっています。自分の身をすり減らしてまで寄り道をするような無茶振りは無くなり、日々の生活に精神的、時間的なゆとりが生まれました

今日の診察で、安定剤のメイラックスの減量が決定し、半量になりました。1日おきに、というのは私の場合、駄目だったからです。先月から試しているんですけど、1日おきだと禁断症状のようになってしまい、非常に辛くて、結局やめられませんでした。もう、メイラックスも長いので依存している可能性もあるのかもしれません。ただ、今のところ、半量なら重度な禁断症状は無いので大丈夫だと思います。ただ、気づいたのは、半量にしてからやたらと飲酒欲求があるんです。やはりダウン系のお薬の減量なので関係があるのでしょうか?このままアルコール依存症にならなければいい、と願っています。

それにしても今回、「私、本当に良くなっているなぁ」と我ながらに思いました。 というのも、回復期の問題を先生に打ち明けることが出来たからです。メイラックスがまだ余っているか、と尋ねられた時、通常なら「若干ですね。」といって、余っているにもかかわらず貰っていたのですが、今回は「まだ、結構あります。」と正直に返答できました。(自分に拍手!!)

回復期にとんでもないことをしでかす傾向があり、過去にも何度かやっているので、とにかく手元に(余分な薬を)置かないようにしたいんです。」と伝えることができましたよ。実は、先月(12月)、うつの回復が始まりましたが、大量服薬を考えてテーブルの上に何度、薬を並べたか分かりません。LD50の計算をしたり、「複数の薬を組み合わせたら死ねるかな?早く楽になりたい。(=死んでしまいたい)」と考えたりで、嵐の1ヶ月でした。今も決して落ち着いているわけではありません。油断大敵です。本当は手元に薬をあるだけ用意したくて、メイラックスのような薬は大量に欲しかったんです。でも、私は同時に「本当は死にたいのではなくて楽になりたいだけなんだ。」と分かるようになりました。ですから、今回、先生に回復期の問題を打ち明けることが出来たんだと思います。私にとっては大進歩です!!!

先生は私に「絶対にそれ(大量服薬)はやめて下さいよ。絶対に駄目です!そういう時には病院に電話して下さい。僕がいなくても誰かが対応しますから。」とおっしゃって下さいました。この一言だけでも私にとっては大きな支えです。

いつか、自殺のことなど考えることなく生きていける日が来るのでしょうか?今の私にとっては遠い道のりに思えます。なにせ、小学生の頃からの筋金入りの自殺願望です。「今更、治るのかな?」というのが正直な思いですが、私の命は実に様々な方々に支えられている、ということを常に心に留めて私なりに生きていきたい、と思います。


2010年1月13日水曜日

アメリカにおける診療-その2

「中待ち」って?
日本ではこんなことも医師がやらなくてはいけないの?
診察台に座らなくてもいいなんて嬉しい!

日本の「中待ち」

今の仕事(医療機器の営業)を始めるまで、私は「中待ち」の制度は女子医大だけだと思っていました。そしたら、大学病院をはじめ、大病院ではこの制度は当たり前のように浸透していることを知りました。女子医大では、まず、受付を機械ですると受付表が出てきます。そこに表示された受付番号が表示盤に出るまで「外待合室」で待ちます(いわゆる「外待ち」)。表示盤に自分の受付番号が表示されると「中待合室」に行きます(「中待ち」)。中待ちの表示盤に自分の番号が「現在診療中」の欄に記載されたら、診察室に入室、という流れです(女子医大のシステムについて詳しくはこちら)。

ただ、アメリカでこのシステムにお目にかかったことは一度もありません。ミシガン大学の大学病院でも、ミシガン州立大学のクリニカル・センターでも無かったです。

アメリカでは「中待ち」は本当に「中待ち」

これは大病院だけではなくクリニックでも同じですが(小さな町医者は除きます。町医者の場合はほとんど日本と同じです)、アメリカで「中待ち」にあたるものは「診察室の待つ」ことです。 まず、受付を済ませ、ロビーで待ちます。「受付番号」ではなくて名前で呼ばれます。Physician's Assistant (医師の助手、アシスタント)と呼ばれる人が患者さんを診察室まで連れてゆきます。この時、アシスタントはタブレットPCか書類を持ってやって来ます。

診察室に入ると、椅子ではなく紙シーツの敷いてある診察台 (Exam Table) に座るよう促されます。そして、来院理由、主症状などを尋ねられます。検温、血圧、脈といったバイタルをとります。そう、これは医師ではなくアシスタントの仕事なんです。彼らはこれらの仕事を終えると一旦、退室します。「これからドクターが来るから待っててね」などと言われます。ここまでがいわゆる「中待ち」です。

診察

 5~10分待つとドクターが、やはりタブレットPCを持って現れます。先ほどアシスタントに説明した症状を再度説明させられるところから診察は始まります。

診察が終わり、診断の説明、治療の相談等が終わるとドクターはそこで退室。また待つこと5分ほど。(場合によってはもっと長いです)先ほどのアシスタントが戻ってきます。お薬が必要な場合、処方せんはアシスタントが出してくれます。お薬の説明もアシスタントが行います。

患者からすると、本当にドクターは診察するだけなんです。(世間話などすることもありますけどね)私の個人的なイメージですが、ほとんどのお仕事はそのドクター専属のアシスタントや看護師が行っている印象でした。(病気が複雑になるとお医者さんも本当に沢山の仕事をして下さいますけどね。)

日本の患者の皆さん、この医療体制をあなたの病院と比べてみて下さい。アメリカのアシスタントが行っているこれらの仕事ってあなたの先生(お医者さん)がしていませんか?私の女子医大の先生はバイタルも自分でとります。症状を先に先生以外の方に訊かれる時は予約外の時のみです。

アメリカのように、業務が専門化していると、確かに先生の効率は上がるかと思います。正直、女子医大に始めてかかったとき、「日本のお医者さんってこんなことまでしなくてはいけないの?」と思ったものです。「アシスタントっていないのかな?お医者さんが全部やらなくてはいけないなんて大変だな。」と思ったのを覚えています。

ただ、アメリカのように仕事があまりにも専門化してしまうと先生との繋がりが日本に比べて薄く感じてしまいます。私の日本のお医者さんはバイタルを取るときも最新の機械に頼るのではなくマンシェットを巻いて聴診器でコルトコフ音を聞いて血圧を、実際に脈を手で感じて脈拍数を測定しています。実際に触れられることによって何となく「人間としての」繋がりや温かさを感じるんです。これがアメリカですと、最新の機械で特に私に触れることなくバイタルを測るので何となく冷たい感じがしてしまいます。

また、診察室に入って最初に座る場所がアメリカでは診察台。なんだか実験台というか、被験者というか、同じ「人間」に感じられないんですよね。アメリカでも、先生やアシスタントによっては「椅子でいいわよ」と言って下さる方もいらっしゃるのですが、やはり、最初は椅子に座りたいです。その方が「患者」である以前に「人間」である意識が強く持てます。ですから、日本の病院で診察時にまずは椅子に座ることができる、というところは嬉しかったです。

以上、本日は「中待ち」とお医者さんの仕事、診察についてでした。

2010年1月9日土曜日

アメリカにおける診療-その1

アメリカでは、病院に行くときはまず電話
どこの専門医に行くにもまずは主治医を受診

私がアメリカで手術を受けた、入院した、通院した、と言うと、アメリカの医療について尋ねられることが多いです。私は患者生活をアメリカで始めたので、アメリカの医療体制が普通に感じていていました。2008年1月に日本に帰国し、女子医大に通院した際、実はかなりのカルチャーショックを受けました。そういった背景も受けて、これから数回に分けて、具体的にアメリカでの医療がどのように行われているのか、患者の視点から挙げていきたいと思います。

完全予約制

まず、アメリカでは全ての診療が基本的に予約制です。例えば、風邪をひいたから近くのクリニックで診てほしい時も、まずは電話するんです。クリニックの場合、ほとんどは当日のうちに診てもらえますが、それでも予約が必要なんです。

大学病院を含む大病院においてはもちろん、救急を除き、ほぼ完全予約制です。押しかけていっても、救急でない場合、ほぼ確実にお断りされます。

全ての診療に主治医がかかわる

日本においては保険がきく施設であれば、基本的にどこの病院にもかかることができますよね。 アメリカでは残念ながらそれはできません。まず、主治医以外の専門医に診てもらう時には紹介状は保険の絶対条件です。これは非常に面倒なシステムで、例えば、私個人の体験を挙げると、耳側半盲で眼科にかかりたかった時にも主治医の紹介が必要でした。(そうでないと、保険が適応されないのです。)

これは、患者が「必要のない医療」を受けることによる保険会社の負担を減らす、という目的があるようです。 あと、このシステムによって主治医が1患者の情報を網羅することができる、というメリットもあります。

例えば、日本においては、次のようなことも想定されます。
高血糖で主治医(内科)にかかっている女性患者が生理不順で婦人科にかかり、視野狭窄で眼科、不正咬合で歯科、頭痛で神経科、関節痛で整形外科、と主治医が把握することなく受診をすることが可能です。そう、これはまさに先端巨大症の例ですが、これではなかなか診断が下りません。これが、アメリカですと、私の場合のように診断までの時間がそれほどかかりません。現に私の主治医は私が視野異常を訴えた時点で「脳下垂体腫瘍」を疑いました。主治医が紹介状を書かなくてはならないので、高血糖、生理不順、頻繁な感染症、頭痛、視野狭窄、という情報が全部カルテに残ります。そのおかげで診断も早かったのではないか、と思っています。

ただ、このシステム、患者からすると非常に面倒でもあります。特に、旅行中に病気をした時、不便です。救急の場合は、救急外来(ER)に行けばいいのですが、そうでない場合、手軽に近くのクリニックにかかることがなかなか出来ません。まず、主治医に電話しなくてはなりません。(保険上の都合です)

こういった欠点はありますが、専門医の入力したカルテ等の情報は全て主治医に送られるシステムなので、そういった面では便利なのかな、と思いました。

2010年1月4日月曜日

2010年 明けましておめでとうございます。

ミサンガが切れた!

新年のお慶びを申し上げます。
私には新年早々、縁起の良いことが起きましたよ。
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昨年の4月、新人研修の最終日に私たちの同期は全員、同じミサンガを受け取りました(これは同期数名が人数分用意したものです)。私は、これに「先端巨大症を初めとする各種難病が一日も早く助成対象になりますように。」という祈りを忘れないように、という意味合いを込めてきつく結びました。

2010年元旦、私は宇都宮の両親の実家を家族と共に訪問し、ご馳走になった後、千葉県の実家に帰ってきて手を洗おうとしました(もちろん感染予防です)。「あれ、随分とミサンガの結び目が大きいなあ。」と思ってよくよく見たら、結び目が完璧に解けていました。「あ!!!」

私は「ミサンガが切れたら願い事が叶う」というところは信じていません。ただ、クリスチャン的に私はミサンガをする意味は祈りに覚えておくべきことを忘れないため、と思って身に着けることはあります。ただ、あまりにもタイミングが素晴らしかったので驚きは隠せませんでした。

先端巨大症に関して言えば、昨年の10月16日に既に叶った願いでしたが、まだまだ助成されるべき疾患は数多くあることも事実です。そういった病と共に生きている仲間のことを覚えつつ、ミサンガは切れても、引き続きお祈りは続けていきます。また、自分のできる範囲でお手伝いできればいいなぁ、なんてぼやいています。

なんだか、早くも2010年、良いことが起きそうな予感がします。
私たち難病患者にとって2010年が素晴らしい年となりますように。


切れた(解けた)ミサンガ
水色は慢性疾患サポートの色でもあります。