2009年12月31日木曜日

過去の理想像と、現在のビジョン

もともと興味のあったQOL、SWBの探求を続けていきたい!

前回の投稿で、「この3年の間に私の人生プランが大きく変わってしまった」と述べましたが、「本当はどうなりたかったの?」と親友に訊かれました。
(この友人とは小学校の頃、塾で知り合い、同じ中高一貫の私立に進学しました。その後、彼女は国内の大学に進学、私は米国に留学し、互いに心理学を勉強してきたのでした。彼女は現在、念願の臨床心理士となり、活躍中です。)


私は本当はどうなりたかったのか?

私も元々は臨床心理学を勉強したくて渡米しました。ただ、ミシガン州立大学在学中に転機が訪れ、社会心理学(Social Psychology) および人格心理学(Personality Psychology)に興味を持つようになります。特に私はQOL(Quality of Life - 生活の質)やSWB (Subjective Well-Being - 主観的幸福感)について真剣に研究したい、と強く思うようになりました。この道では結構有名なRichard Lucas 准教授のご指導の下、学部生アシスタントとして彼の研究室を手伝っていました。ルーカス准教授の研究テーマは半身不随の患者さんのQOLとSWBでした。彼はQOLや幸福感に関して、主観的評価を特に大切にしていました。この考えは当時の私の「幸せの度合いは当人しか分からない」という考えと合致しており、嬉々として私はルーカス准教授のジャーナルを読んだり、研究のお手伝いをしていました。

私の理想は、この方面で(特に「慢性疾患を患っている患者のQOL及びSWBをどうしたら向上できるのか」)一生、研究を続けていくことでした。Ph.D(博士号)をとって研究員となり、最終的には教授になりたかったのです。


今の私にできることは何か?

人生とはなんと皮肉なものでしょう。私の研究テーマは「慢性疾患を患っている患者のQOL及びSWBについて」でしたが、私自身がその患者となるとは当時、想像だにしませんでした。初めは「なんで?どうして?」と疑問でしたが、今は、私が最も知りたがっていたことを理解する一番の近道を与えられたんだと解釈しています。

私は恐らく慢性疾患患者のQOL、SWBに関する探究心をこのまま失ってはいけないのでは、と思うようになりました。一度、大学院を離れてしまった身で今更アカデミックに戻ることは難しいでしょう。しかし、探求を続けることは可能だと思います。ですから、私なりに自分のような慢性疾患患者のSWBを高める方法を探究してゆきたい、と思っています。

確かに留学中ずっとHonor Student (優等生)として何度も表彰され、大学院にも無事進学し、私は研究員へのレールにのってこのまま順調に進んでいくものかと思っていました。ですから、教授になる道を絶たれて、とても残念で悔しいのですが、過去の夢をいつまでも追っても仕方ありません。カウンセリングの授業でも学びましたが、私たちは幸福になるには「今、ここ」に生きることに集中することが重要なんです。なので、私も「こうでありたかった自分」のことを考えるのではなく、「今、ここ」で自分にできることに集中できれば、と思います。

2009年12月30日水曜日

病気によって得たこと

耳側半盲で米国のミシガンでお医者さんに初めてかかってからもうすぐ3年が経とうとしています。
なんだか、昨日のように感じてしまいます。今でこそ何てことない採血がまだたまらなく怖かったのを覚えています(笑)。

この3年の間に私の人生プランは大きく変わってしまい、正直を言えばとっても残念で、悔しくて、悲しくて、人生が不公平に思えてしまいます。この私に出来ることなんてあるのか?と自信喪失してしまったり、未だにまだ病気を乗り越えられていないんだと思います

それでも、私は先端巨大症をはじめとする、複数の慢性疾患のお陰で得ているものも多いのでは、とさらに強く思うことがこの一年でできるようになったのでは、と思います。

今回は病気によって得たことのうち、自分にとって大きな意味を持つ3つのことについてお話します。

人の痛みが分かるのは財産

私は病気を通して、人の痛み、苦しみが分かるようになりました。これは素晴らしい財産です。周りの方に相談を持ちかけられたり、打ち明け話をされるとき、その方の目線で話を聞かせていただくことが出来る、って本当に恵まれているな、と正直に思えるようになりました。今年は社会人1年目だったので特に苦労の多い年でした。でも、そういった経験をしないと共感や思いやりって身につかないのでは?と思うんですよね。「□□って自分も大変なのにいつも本当に優しいよね」と友人によく言われたりします。そう考えると、人の痛みが分かる私は恵まれている、と思います。

素晴らしい仲間との出会い

病気になって、まず、本当に大切な人は誰なのかがハッキリしました。私が本当に苦しいときに耳を傾けてくれる友達、お祈りをしてくれる方々、そういった友人はだれなのかが幸運なことにハッキリと分かるようになりました。確かに病を機に失った友人もいます。「病人と行動を共にするって気を遣うから面倒」と言われて傷ついたこともありました。でも、本当に私を大切にしてくださる方々とは、より一層、固い絆で結ばれるようになり、私は非常に嬉しいです。

それだけでなく、病気のお陰で素晴らしい仲間に巡り会うことができました。様々な患者会での仲間からは事あるごとに励まされ、なんとかこの1年を乗り切ることができました。下垂会のメンバーの皆さんともお会いする機会を得ることが出来、皆様の温かさに触れ、そこでまた生きる力をいただきました。「私はこんなに素晴らしい仲間と共にこの病気と闘っているんだ」と思うと勇気が湧いてきます。

素晴らしい先生との出会い

普通、自分がファンの人物に 一対一でじっくりお話をする機会ってなかなかないと思います。それが、私には可能なのです!私はお医者さんでいうと、聖路加の日野原先生と女子医大の肥塚先生のファンですが(笑)、そのうちの一人の肥塚先生に診療していただけるなんて、なんて恵まれているのでしょう!と思ってしまいます。

肥塚先生の魅力に関して話し始めればきりがないのですが、1番は先生のバイタリティー(これは日野原先生にも通じるところがあります)と思いやりです。一度、「私は疲労感でこのままやっていけるのかとても心配になるんです。先生はどうされているんですか。」とお聞きしたことがあります。そんな鬱々とした私に、とてもシンプルなお答えをして下さいました。「朝起きて、確かにしんどかったりするけど、『よーし!今日も頑張るぞ~!』って(右手でこぶしを作って上にエイっと突き出していました)やるのよ。」特別なことを先生はおっしゃったわけではなかったのですが、その時の私にバイタリティーを持って、(ジョークも混じっていましたが)真剣に向き合ってくださったのは身振りそぶりで分かりました。あの診療の日、私は診察室に入る前は「私ってなんて不幸なんだろう?もう人生どうでもいいよ。」と思っていましたが診察室から出る頃には「もうちょっと頑張ってみよう。私には素晴らしい先生がついているんだから幸せものなんだ。」と思えました。

さらに…。自殺企図の際に私の命を救ってくださったのも実は肥塚先生だったのです。あんなに毎月、真剣に私に向き合って治療して下さる先生の姿を思い描いた瞬間に私はLD50に至る薬の量を服薬するのをやめました。なんだか、先生を裏切るようで申し訳なくなって薬を2種類、1ヶ月分いっきにアルコールと飲んだところでなんとか自分を止めることができました(昨年の9月)。この話は実は未だにご本人には詳細はお話していません。私は肥塚先生との出会いがなかったら、今私がこの世に存在していることすら疑問です。「どんな状況になっても私は生きていこう。どんなにかっこ悪くても自分なりに生きていこう。」と思うようになりました。

先生、私を生かせて下さってありがとうござます。そして、私に生きる力を与えてくださって本当にありがとうございます。

2009年12月28日月曜日

IGF-1とエストロゲンの関係

「挙児希望女性に発生したホルモン産生下垂体腺腫への対応」を読んで


今回は本当につぶやきです。

私が2009年12月10日に投稿しました、脳下誌 18巻5号 2009年5月の342~346ページに掲載の「挙児希望女性に発生したホルモン産生下垂体腺腫への対応」(肥塚直美先生&高野加寿江先生)について考え付いたことを。。。
妊娠→エストロゲン増加→肝臓でのIGF-1合成が抑制される
という可能性がある、とのことでしたが、これについて今月の肥塚先生の診療のときに、「エストロゲンが増加するとIGF-1の合成が抑制される、っておもしろいですね。」なんて素人意見を述べたら「そうなのよ。おもしろいのよ。」と相槌をうって下さったので、調子に乗って、さらにちょこっと調べてしまいました。というのも、エストロゲンとIGF-1になんらかの関係がある、なんて初耳だったので、興味を持ってしまったからです。

NCBIを検索していたら
Quesada A, Micevych PE.(UCLA-カリフォルニア大学ロサンゼルス校)が著者で
Estrogen interacts with the IGF-1 system to protect nigrostriatal dopamine and maintain motoric behavior after 6-hydroxdopamine lesions.
というジャーナルを見つけました。(J Neurosci Res. 2004 Jan 1;75(1):107-16)
英語の文献です。

ザックリと結論だけ述べると、IGF-1とエストロゲンは作用機序に関係がある、ということです。

もうちょっと踏み込んで説明すると、IGF-1受容体をブロックすると、エストロゲンとIGF-1の両方の "nigrostriatal DA neurons" という神経の保護機能等が低下した。つまり、IGF-1とエストロゲンはIGF-1のシステムを経由して体に働きかけているのでは、ということだと思います。(間違っていたらごめんなさい)

さらに…ScienceDirectで
Pablo Mendez, Francisco Wandosell and Luis M. Garcia-Seguraが著者で
 Cross-talk between estrogen receptors and insulin-like growth factor-I receptor in the brain: Cellular and molecular mechanisms
というジャーナルも発見!(同じく英語)
(Frontiers in Neuroendocrinology, Volume 27, Issue 4, December 2006, Pages 391-403)

エストロゲン受容体はIGF-1のシグナリング機構(機序?)の一部を担っており、IGF-1受容体はエストラジオール(エストロゲン)受容体のシグナリング機構の一部を担っている、とのこと。

なんだか、面白いことになってきました!
IGF-1受容体をブロックするとIGF-1とエストロゲンの作用が低下(Quesada&Micevych)
エストロゲンとIGF-1は互いのシグナリングに関与している(Mendez, Wandosell, Garcia-Segura)
そして、エストロゲンが増加するとIGF-1合成が抑制(肥塚&高野)

検索していると、この他にもエストロゲンとIGF-1の関係についてのジャーナルが沢山引っかかります。なんだか、難しい医学用語が羅列されているものが多いですが、やっぱりエストロゲンとIGF-1には関連性があったんですね! どんな機序で両者が働いているのか、もっと詳しく知りたいです。

あと、例えばエストロゲンを投与するとIGF-1って低下するんでしょうか?
年末のこの忙しい時期にどうして私はこんな暇気なことを考えてしまうのかしら?

なんだか、IGF-1っておもしろいなぁ、と思ってしまいました。

2009年12月27日日曜日

12月17日 診療日記

ADHD治療薬のストラテラの効果に感激!

肥塚先生の24日の診療についてアップしておきながら「どうして17日の神経精神科のはないの?」という指摘が1件ですがあったので、アップです。

実はノルアドレナリンに作用する薬で、小児のADHDのお薬であるストラテラという新薬をスタートして1ヶ月になるのですが、非常に調子がいいんです。「えっ、うつにADHD治療薬を使っているの?もしかしてオフラベル?」

こういった声が聞かれそうだったので今までは薬の名前、および先生のお名前の掲載を控えさせていただいていたのですが、実は私の場合、必ずしもこれがオフラベルでないことが今回分かったので、お薬名を出させていただきました。

留学中、私はADDだ(ADHDのうちの「不注意優勢型」と呼ばれる型)、と診断されたことがあります。その後、「この患者の注意欠損はうつ病に起因するものだ」という意見が出たのでADDという診断は結局うやむやになって終わりました。

それが、今回、ストラテラを飲み始めて「私、今までずっと損してきたな。早くこの薬に出会いたかった」と思いました。まず、うつが劇的に改善されました。つまり、私のうつはセロトニンではなくノルアドレナリン性のものだったようです。服用開始の2~3日は逆に効き過ぎてハイで、心配になるくらいでした。自分のために5000円以上の買い物をしたのもこの時期です。それまでは「どうせ(自殺して)死ぬんだから、こんなの買ってもしょうがない」という思考回路が出来上がっていたので、あまり買い物をしませんでした。(病んでますよね~)今でも確かに、完治してるわけではなく「死にたい」という思いはまだまだ根強く残っていますが、この間中までの切羽詰った「今すぐに死んでしまいたい」という強い自殺願望ではなくなったのは、非常に大きな改善だと思います。

しかし、うつの改善以外にもっと驚くことが起きました。それは、まっすぐ帰宅できるようになったということです。私、帰宅の際、注意が色々なところにいってしまってどうしても寄り道をしないと帰ることが出来なかったのです。それも、「夕飯を買わないと」といった、「必要な寄り道」ではなく、なんとなく気になるからフラ~っと、といった感じです。この問題、実は長年、苦労してきたことでした。私は今までずっと「自己管理が出来ないだめな人間だ」と思いながら生活してきました。お困り度の高い、この悪い癖(?)が無くなったので感激です!

また、何をするにしても「あれもしないと、これもしないと、あぁ、どうしよう?どこから手をつければいいんだろう?あぁ、でもどうしてもこっちを先にやりたい。」と段取りを取るのに結構パニクることが多かったんです。でも、落ち着いて、しかも集中して仕事をすることができるようになりました。人の話もイライラせずに聞くことができるようになりました。

こういったことを先生に報告をすると、「あなた、やっぱりADHDだったんじゃない?」とのこと。私は、ミシガンにいる頃から「自分はADDなんではないか?」とずっと気にはなっていたので、ようやく正式な診断名を下され、内心ほっとしました。小学生の頃から私はADDの症状があったので(いい意味でも悪い意味でも)、ようやく今までの苦労してきた問題に名前(診断名)が付いたので、謎が解けた気がします。

また、自己判断ではあったのですが、アメリカにいた当時服用していたミルタザピン(リフレックス)というピカピカの新薬を10月に開始したのですが、11月末に中止したんです。理由は疲労感と体調不良でした。そしたら体調不良が改善し、過食も全く無くなったんです。

他にも、これはストラテラ開始によるものなのかリフレックス中止によるものなのか分かりませんが、「飲酒したい」という欲求が無くなりました。

私の精神科医は、私がアメリカで心理学(薬物療法中心)を学んでいたこと、薬に対してある程度の知識があることを尊重してくださるので、私が自己判断で薬を中止したり、減らしたりしても叱ったりしません。それは、きっと、先生が私は私なりに考えた上で薬を調整しているのをご考慮して下さっているからだと思います。それなので、リフレックスをやめたことに関しても、逆に「結局、ミルタザピンは良くなかったんだね」とおっしゃって下さいました。

また、私の症例が非常に興味深かったみたいで嬉々としてカルテにバンバン打ち込んでおりました。「こんなこと言って、失礼かもしれないけど、あなたのケース、面白いよ!」なんて言って下さったので、こちらも先生の研究にお役に立ててなんだか嬉しかったですよ。

お薬もだいぶ整理され、今、精神科の薬はストラテラとメイラックスの2種類のみになりました。今後はメイラックスを中止する方向のようです。飲む薬は少なければ少ないほどいいので、今回、処方がシンプルになって、しかも効果が大なので非常に嬉しく思っております。

ただ、私はうつが改善されると、とんでもないことをしでかす傾向があるので注意が必要です。行動的になったあたりで変な衝動がでて大量服薬を行ったりしてしまうのが回復期に多い、なんとも困ったケースなんです。でも、この先生と本当に2人3脚で頑張ってきたんだから、治療に専念して辛い回復期を乗り越えることが出来ればいいなぁ、と思っております。

12月24日 診療日記

いつもの温かなご対応に感謝
自宅周辺でかかりつけ医、見つかる 

クリスマスイブに女子医大の内分泌内科の診療でした。実は去年もイブに診療でした。(日本に帰国して初めてのイブだったのでよく覚えています。)私はイブに病院に行くことに関しては全く抵抗はないです。「えっ、クリスチャンなのに?」と言われますが、この特別な日に診療を受けること自体が恵みだと思っているので、むしろ嬉しいくらいです。

前置きはこの辺にして…。
この日は前夜、2時間しか眠れなかったのと、午後休にしていたので午前中、某大学病院に営業に行っていたのでなんだかとても疲れていました。中待ちでも診療ノートと診察券等を入れる病院のクリアファイルを手にウトウトとしてしまっていました。「あぁ、ここで横になってしまいたい。眠いし疲れた。」半分寝ていたので、長い待ち時間があっという間でした。

寝ぼけていたのでドアをノックするとき、例のアメリカ式のノックをしてしまいました。(3~4回、すばやく連打) 「あっ、またやっちゃった!」(苦笑)

まずは、「インフルエンザ疑いの患者 」ということでお騒がせしてしまった件についてお詫びすると、「そんなの、気にしなくていいのよ。」と優しくおっしゃって下さいました。こういった肥塚先生の温かなご対応が嬉しかったです。(女子医大で私のかかっている先生方、考えたら肥塚先生のような対応をしてくださる先生ばかりで、私は本当に恵まれています。脳下の井澤先生も「具合悪いときはいつでも来ていいんですよ」と言って下さるし、精神科の先生もそんな感じです。)

インフルの話が終わると、「調子はどう?」と問診が始まります。 私、ほぼ毎回この質問に対して本当は色々言いたいのに「まぁまぁです。」とか「ぼちぼちやってます。」とか曖昧、というよりお馬鹿な返答をしてしまうんです。それで、先生が「まあまあ」と復唱しながら本当に「まあまあ」と電カルに打ち込むので苦笑いです。「あぁ、これを他科の先生が読むわけだ」と思うとなんだか複雑な心境です(笑)。IGF-1もGHも今回(11月の採血)の値は良かったですよ。IGF-1は基準値内に収まっていました。IGF-1が265ng/mlで、GHが3.65ng/mlでした。前回(10月の採血)がIGF-1が344ng/mlで、GHが10.91ng/mlだったので、改善されています。「あなたのは、すごくよくコントロールされているわよね」と先生。これも、先生のお陰です!

血圧、脈をとった後、先生に腹痛の件で相談しました。 消化器内科の受診を勧められました。「(外科ではなくて)内科がいいと思うわよ」とのこと。(女子医大でなくても、家の近くで、おっしゃったのですが、この一言のお陰で、私はこの日、家の近くでかかりつけの内科医が見つかったので非常に感謝しております。)

腹痛に話は戻りますが、サンドスタチンで、使用開始まもない患者さんは下痢などの症状があったりするのですが、私はもう使い始めて長いから、副作用は考えにくい、といったことをおっしゃっておりました。

また、その際、「あなたも(サンドスタチンLAR歴が)長いからね」と何度かおっしゃった時、先生にはそのつもりはなかったんだと思いますが、「私もそろそろ『この薬を打つと、翌日しんどい』とか言っているのも情けないな。」と感じてしまいました。もう、サンドスタチン歴は1月でちょうど2年半になろうとしています。そろそろ慣れても悪くないはずなのかしら?

そのほか、先生のジャーナル、学会、先月の公開講座について楽しくお話して診療が終わりました。

診療後、採血・投薬のためにケアルームに行くと、いつもの温かいご対応で「私は本当に幸せ者だなぁ」と思ってしまいました。

肥塚先生の診療が終わった後、一度帰宅して、インターネット検索。評判の近く(とは言っても地下鉄2駅です)の内科の先生にかかり、腹痛の謎は解けました。今、お薬を飲んでおり、快方に向かっております。

その後、(クリスチャンなので)自分の所属教会にかけつけ、礼拝は終わってしまっていましたがなんとかキャロリングは参加でき、非常に良いクリスマスイブを過ごすことができました。

皆さんのクリスマスはどうでしたか?

2009年12月23日水曜日

AIP遺伝子の突然変異と先端巨大症

先端巨大症って遺伝と関係あるの?

米国でWayne Brown氏によって発足されたAcromegaly Communityという世界的な先端巨大症の患者会を一時期賑わせた記事があります。それは、今までの「脳下垂体腫瘍は遺伝とは無縁」という考えを覆す報告書でした。全文はこちらから。(英語です)

このVARIによる報告書はマレーシアのボルネオという山岳地域に住む血族を観察した結果、AIP遺伝子と呼ばれる遺伝子突然変異と先端巨大症になんらかの関連性があるのでは、という見解を示したものです。ただし、AIP遺伝子に突然変異を起こした全てのヒトが先端巨大症を発症したわけではないので、AIP遺伝子以外にもキーとなるものがあるのでは、とのこと。

実は今年の9月頃にこのVARIの報告書がAcromegaly Community 及び Acromegaly Support Group で話題になっていたのですが、当時の私はこの報告書に懐疑的でした。まず、先端巨大症の発症の頻度の数値が100万人あたり4676人、毎年新たに100万人当たり117人、という記述で「他文献を読んでもこんなに多い頻度なんて見たことがない。この文献は本当に信頼性のあるものなのか?」と疑問に思ってしまったので、当ブログにもアップしませんでした。

たしかに、発症頻度には疑問点の残る報告書ですが、つい最近、NCBIからこのAIP遺伝子と先端肥大症の関連性についてのジャーナルが出たのを機に、再度、VARIの報告書を評価する必要があったかな、と思い、今回、この場を借りて報告させていただくことにいたしました。

 確かに、脳下垂体腫瘍については遺伝性は今のところ否定されています。しかし、そのうちの先端肥大症に限定したらもしかしたら遺伝に関連する何かがあるのかもしれない、もし、そうだとしたら予防策を将来的にはとることが可能になるのでは、とも取れるので、なかなか興味深い内容ではないでしょうか。


NCBIを検索すると、このAIP遺伝子と先端巨大症の関連性を否定する内容のジャーナルもあるので、現時点では遺伝性についてはまだ疑問の残るものなのでは、というのが私個人の見解です。


2009年12月19日土曜日

新薬の治験が海外で始まる!

オクトレトチドのImplant(ペレット製剤?)

Endo Pharmaceuticals Solutions Inc.という製薬会社で、Phase III Study(第III相試験)が始まった先端巨大症のお薬があります。英語のサイトですが、詳しくはこちら

治験(臨床試験)には第I相から第III相まであり、第III相では多くの患者さんを対象に、お薬の有効性と安全性について大規模な試験を行います。第III相はお薬の承認申請をする前の最終段階です。

この治験はアメリカ、チェコ、ドイツ、ハンガリー、ポーランド、ロシアが共同で行っているようです。(なぜか日本、カナダ、英国が入っていないのが気になります)

成分自体はオクトレオチドなので、サンドスタチンと同じです。今回のこの治験では被験薬がオクトレオチドのペレット製剤(84mgを6ヶ月)で、対照薬がサンドスタチンLAR(10~40mgを28日ごと)

英語でImplantと書いてありますが、これはおそらくペレットのことだと思います。(専門家ではないので確証はできません)
ペレット製剤とは「ペレット」を皮下に埋め込む、徐放性のお薬です。
 
(医薬情報担当者 MR研修テキストII 2006年度版 薬理学/薬剤学 135ページより図を使わせて頂いております)

現在あるサンドスタチンLARと治験薬のペレット製剤、同じくらい効果が出るのでしょうか?
副作用はどうなのでしょうか?
価格はどの程度変わるのでしょうか?
注射時の痛みはどのくらい違うのでしょうか?

ただ、安全性はペレットの方が高いように感じるのですが、専門家の皆さんはどうお考えでしょうか?サンドスタチンLARは筋肉内注射ですが、筋注って筋拘縮症や神経障害を起こすこともあって(特に小児だったと思います)現在は避ける方向にある注射方法なんですよね。そう考えると、皮下に投与なので、筋注に比べるとリスクが少ないように感じるのですが、どうなのでしょう?

また、この治験薬の場合、1度投与すると6ヶ月 持つようなので患者側の精神的負担も減るような気がします。1ヶ月に1度の19ゲージの針による投薬に比べたら1年に2回の方が楽そうですよね。

ただ、6か月分も濃縮したものを一度に埋め込むわけですからなんだか痛そうな気がします。どれくらいの大きさのものなのでしょうか?


あまり痛くないのであれば、私も試してみたいです。この治験の結果が楽しみです。



2009年12月17日木曜日

下腹部の激痛で唸り続けた夜

下腹部痛。。。どの科に行けばいいんだろう?
(今回の投稿は完全に日記と化しております。)

昨晩、下腹部及び背部の激痛で一人呻いておりました。午前1時頃から痛み出して2時30分頃、とうとう我慢できず、とにかく対処法が知りたくて#7119(東京都の救急相談センター)をダイアルしました。痛みには波があって、ひどい時は本当に話すこともできず、ただ言葉にならないようなうめき声を発している状態でした。比較的痛みが和らいでいるうちに#7119をダイアル。症状を説明すると、近くの総合病院を紹介され、受診を勧められました。ただ、基礎疾患がある旨を伝えると「それでは、まずはそちらの病気でかかっている病院に連絡した方がいいですよ。あと、あんまり痛むようでしたら救急車を呼ぶべきだと思います。」とのこと。


実は私、このようなことが2008年2月にもあったんです。あまりもの下腹部痛で立ち上がれなくなり、嘔吐し、頭痛もひどく、バスルームで横になったまま起き上がれなくなってしまったことがあります。ちょうど、女子医大の検査入院から退院した翌日だったので、千葉県の実家にいたにもかかわらず、救急隊は近くの慈恵医大柏ではなく女子医大に「40分くらい、我慢してね。」と言ってバイタルをチェックしていたのを覚えています。結局、原因は分かりませんでした。点滴した後、痛みが和らいだので午前5時頃に帰されました。

今回は前回とは少し違っており、嘔吐も頭痛もなかったんです。つまり、あの時に比べるとようは「大したことがない」と自己判断したので、結局病院へは行かないことにしました。しかも、救急に行って、特に異常が見つからなかったときのフラストレーションといったら半端ではないです。結局、昨晩は一人で痛みと格闘することにしました。しかし、一向によくならず、時計を見たら既に3時半。もう、背中を丸めてうずくまっているのも疲れてきました。横向きに寝ると痛みが増したので、仰向きになって寝ることにしました。「痛い、痛い」といいながらも、気づいたら寝ていました。(眠れるくらいだからやっぱり大したことなかったのかしら?)

朝、7時40分にかろうじて起きてみると、まだジワーっと痛いものの仕事には行けそうだったので頑張って行ってきました。

今もまだ痛いです。一体、何なのでしょうか?一回、消化器科を受診した方がいいのか、これは婦人科なのか、よく分かりません。困ったなぁ。私が女子医大の「受診相談」に行くと、必ずといっていいほど全てを内分泌内科に回されます。自分から消化器センターに出向くのが一番いいのかしら?でも、下腹部だから婦人科にも回されそうな予感。。。でも、大腸ポリープも指摘されていることだし、やっぱり消化器?まぁ、消化器でしょうね、最初は。

と、こんなことをぼやいているうちに夜のお薬を飲むのを忘れていました。(Ooops!!)
今日は胃の辺りも痛いです。なんだか、体のどこかしらが必ず毎日痛いのですが、これは健常人も同じなのでしょうか?

2009年12月10日木曜日

先端巨大症女性の妊娠分娩

 妊娠例こそ少ないけど、妊娠さえできれば結構フツー?

比較的若くして「先端巨大症」と診断された私はたま~に気になることがあります。それは、もしも将来、私が子供が欲しくなった時、どうなるのかなぁ?という素朴な疑問。それで、過去に集めていたジャーナルをゴソゴソと探ってみると、非常に参考になる記事がありました。

脳下誌 18巻5号 2009年5月に「妊娠分娩と脳神経外科疾患」という特集がありまして、その342~346ページに「挙児希望女性に発生したホルモン産生下垂体腺腫への対応」という記事がありました。著者は、東京女子医科大学内分泌センター内科の肥塚直美先生高野加寿江先生です。肥塚先生と高野先生、こんな分野(脳下)にも出没していらっしゃったのですね(というか、集めていた段階で気づかなかった私の駄目さを感じます)。

345ページにGH産生腺腫 (GHoma, acromegaly) の妊娠分娩について書かれています。今回、この記事を読んで驚いたのは、GH産生腺腫の場合、高プロラクチン血症や、巨大腫瘍が下垂体を圧迫することによって無月経を合併することが多い、ということです。確かに私も手術前は無月経だったなぁ。そのためか、先端巨大症の妊娠例の頻度は少ないそうです。へぇ、そうなんですか、先生?

まず、妊娠前にGHとIGF-1をコントロールすることが大切なようです。
そして、先端巨大症をもった患者さんが妊娠した際の注意点は
  • 糖尿病
  • 高血圧
  • 心疾患
  • 腫瘍サイズの増大
といった合併症などのようです。

管理に関してはやはり、頭痛、視野障害、IGF-1をチェックすることが必要のようです。やっぱり!

気になるお薬についてですが、やはり妊娠が判明した時点で中止する、という措置をとるようです。ただし、他文献では1例においては、なんと!妊娠中を通じてピグビソマント(ソマバート)が投与されていましたが、健常児を分娩したみたいですよ。サンドスタチンだとどうなのでしょうか?ソマバートはGH受容体拮抗剤で、サンドスタチンはソマトスタチン誘導体。う~ん、素人には分からない!!

とは思ったものの、やはり妊娠中の先端巨大症に対する投薬はもしかしたらあまり必要ないのかなぁ、とも思えてきました。というのも、妊娠中にGHが変化した症例はあってもIGF-1は増加しないみたいです。

妊娠→エストロゲン増加→肝臓でのIGF-1合成が抑制される

といった可能性があるからのようです。(あくまでも「可能性」と書いてあります)
仮にそうであるのなら、妊娠中に無理にサンドとかでIGF-1を下げなくてもいいのかなぁ、と思えてきます。
ただ、IGF-1が「増加しなかった」という書き方なので、下がるわけでもないような気もするのですが、どうなんでしょう?こんな細かいことを考えるのは私ぐらいなのかしら?

とにかく、この記事を読んで思ったことは「先端巨大症でも月経さえあれば、結構普通に妊娠分娩できるのね。」ということでした。

先端巨大症について、よく言われること

今日は趣向を変えて、私が今まで色々な方から(国内外を問わず)言われたことのある発言について、少しコメントしていきたいと思います。

(少し前に書いたものなので、少々ネタが古くてごめんなさい。ある方からの依頼で急遽アップすることに致しました。)

「背が高くていいわね。」
  • アクロの患者さんは、外見を非常に気にしている方が多いですが、私のように巨人症から始まった場合、身長も気にしていることがあるので、お気遣いのほど、よろしくお願いします。
  • 私は背だけではなく肩も大きくなってしまったので、ハッキリ言って着る服に困っています。上は15~17号の下は7~9号です。スーツなどを買う時、セットで購入できないので非常に高くつきます。
  • 背が高いだけならいいんですが、足も大きくなる病気ですので、靴がありません。25.5cm~26cmの婦人物ってあまりありません。あっても高いです。しかもデザイン性に乏しいです。また、特殊な足の形になったりするので、履き心地も求め始めると。。。ありません!

「成長ホルモンってアンチエイジングにいいんでしょ?
それが多過ぎるなんて、常に若返ることができて羨ましいわ。」
  • 成長ホルモンは確かに代謝促進に関与するホルモンなのですが、これが多過ぎると厄介なんです。手足、鼻、唇、が肥大化します。頬骨、額、あごがでてきます。というか、頭全体がなんだか大きくなります。私の場合、肩や胸の骨も大きくなり、やはり上半身が大きくなった感じです。大腸ポリープ、糖尿病、高血圧、心臓肥大、高脂血症なども成長ホルモン過多は引き起こします。

「それって病気なの?ホルモンのバランスが乱れることなんて誰にだってあるわよね?」
  • 単なる(=よくある)ホルモンバランスの乱れではなく、視床下部の下にある脳下垂体という場所に成長ホルモンを産生してしまう腫瘍ができることで起きる、れっきとした病気です。 (まれに他の原因で起こることもあります)そればかりではなく、先端巨大症は難病で国の特定疾患でもあります。

「あなた方の医療費が高い話は私には関係ないでしょ。」
  • そうかもしれません。ただ、月6万~7万円かそれ以上の高額な医療費で苦しめられているのは私だけではなく、他のアクロの患者さんもそうなんです。中にはお薬が高額のため、治療を断念した患者さんもいらっしゃいます。あなたが私たちのような患者さんだったら毎月これだけの治療費を払うことをどう思いますか?私は「世の中にはこういう苦しい思いをして生きている人がいるんだ」ということをまずは知ってほしいのです。
  • 私たちはいつ何時、高額な医療費を必要とする疾病にかかるか分かりません。もしかしたら、あなたも将来、なんらかの慢性疾患にかかって私たちと同じ苦しみを抱えることだって可能性としてはゼロではないのです。そういった時、国がきちんとした制度を設けていなかったら、どう思いますか?有効な薬や医療技術が存在しても、高額のために諦めざるを得ない、なんていう状態を容認できますか?そこをまずはご理解いただきたいのです。

「どこも悪そうにみえないけど。」
  • はい、見た目で人は判断できないんです(笑)。むしろ、慢性疾患とはそういったものではないですか?高血圧や糖尿病だって見た目には病気には見えませんよね。でも、彼らだって病気です。しかも、見た目に調子が悪そうに見えないからといって、必ずしも本人たちが辛くないわけでもないのです。よく、「大病院にいくと、具合の悪い人なんてほとんどいないんだよ」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、それは彼らが「具合悪く見えない」だけなんです。
  • また、病人だって人にはよく見られたい、という欲求があるものなので、精一杯元気に振舞おうとする人が多いのも事実です。私だっていつも疲労感があって本当にしんどいですが、余裕のある時は笑顔で、精一杯元気に振舞おうとします。

2009年12月8日火曜日

病人にも生きる権利を!

「今は金がないから病院なんかにいっちゃあいけないんだよ」

地下鉄の出口、いつも私はエスカレータ側を使って出ますが、その日はなぜか階段を頑張って使ってみよう、と思って、より自宅に近い出口を利用することにしました。

すると、階段の踊り場に初老の男性がコンビニの袋を片手に倒れております。明らかにホームレスが寝ている、というカンジではありません。通行人の皆さんは気にはなるようでその方のことを見るのですが無視して通り過ぎてゆきます。私、こういうの、駄目なんです。お節介だから黙ってみていられないんです。自分が似たような状況で、悲しい思いをしたことがあるからでしょうか?

私は思わず立ち止まりました。「もしもし、もしもし!!」肩を叩きます。「んあぁ~」弱々しいうめき声が聞こえてきます。呼吸と脈は感じました。「もしもし、どうなさいました?」「ちょっと、休んどるだけじゃ。」「休んでるとはいってもここでは危ないですよ。動けますか?救急車を呼びましょうか?」「お嬢さん、よう、聞きなさい。わしぁあ元々病気持ちなんだよ。ただ、今は金がないから病院なんかにいっちゃあいけないんだよ。分かるかい。」私はこの言葉を聞いて自分のことのように思えてしまい涙が出そうになりました。「わしは若いあんたから金を貰おうなんて思っちゃあいない。ただ、ここでちょっとの間休ませてほしいだけなんだよ。分かったら、こんなの見なかったことにして皆と同じに通り過ぎなさい。」私はどうすることもできませんでした。そのまま通り過ぎるなんてクリスチャンである私の心がズキズキと痛みます。『あぁ、神様、どうかこの者を哀れんでお救い下さい』と彼の肩にそっと手を添えて心の中で短いお祈りを言ってから痛む心と共に通り過ぎました。

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お金の無いとき、私も色々な倹約に走ります。最後に服を買った日なんて私は覚えていません。おそらく夏用のスーツだったと思います。最後に友達と遊んだ日なんていつだったのでしょうか?マクサルトRPDという偏頭痛薬が高いのでなるべくナイキサンという薬で済ませようとして胃を荒らしたり、食事をお昼だけにしたり。 そこから摂食障害を再発させてしまったり。

また、サンドスタチンLARにしても添付文書記載の4週間(28日)周期は完全に無視して35日にしたり、と本来は削ってはいけないところで削ってしまうんですよね。それで、最終的にはもっと高くつく。。。あの、おじいさんも私みたいなことをしてあそこで倒れてしまったのかな、と思ってしまいました。私も「救急車だけはやめて」と言ってしまったりします。万が一受け入れ側が救急でない、と判断した場合、非常に高い負担を強いられるからです。今の私にそんなお金を払う余裕はありません。

なんだか、やりきれません。どうして、病気になるとお金が無くなって病院にかかることのできない社会になってしまったのでしょうか?どこで間違ってしまったのでしょうか?私の祖母もサルコイドーシスという特定疾患で苦しんでいますが、彼女も医療費のために循環器が満足に機能しないにもかかわらずアルバイトをしていた時期がありました。結局、その無理が祟ってさらに病気が悪化したこともあり、最終的には悪循環だったように思います。こういったことを考えていると、慢性疾患を抱える患者として生きていて非常に悔しいです。

40.1℃の熱!

インフルエンザではなかったけど死ぬかと思った!!
現在、快方に向かっております。

実は土曜の夜から体の節々が痛くて、悪寒、吐き気があったので、「なんだか怪しいなぁ。」と思ってその日は翌日、広島へ出張予定でもあったので早めに帰宅しました。

ただ、夜の10時ぐらいになると「これ、明らかにいつもと違う!」と思い始めるわけです。「インフルエンザ?」という言葉が頭をよぎりました。「でも、季節性のインフルエンザの予防接種はすでに受けているし。。。新型かなぁ?一応、基礎疾患持ちだけど、でも先端巨大症とかってあんまり免疫力に関係ないよね。」と思いながらも検温。37.8℃。私の平熱って低めだから、これは結構まずそうな感じです。「新幹線、指定、取っちゃったし、明日出発できなかったらどうしよう?」

まぁ、とりあえず、明日のことは明日に任せよう、ということで、いったん睡眠。
しかし、悪寒はますますひどくなる一方。よく眠れず朝が来ました。

さぁ、日曜日。どこに行けばいいのでしょうか?まずは区のインフルエンザ相談窓口に電話して、休日救急診療所を紹介していただきました。駅の階段を上がるのが本当につらくて何度も休みながら上りました。診療所で検温すると38.3℃。「うわぁ、これはまずい!」新型インフルエンザの検査は陰性でした。でも、当日広島出発はだめ、とストップがかかります。

一応、風邪薬を出されましたが、月曜の朝、4時ごろに寝汗で起こされ、検温すると40.1℃。意識は既に朦朧としておりました。適当に着替え、ガタガタと震えながら水分を取って再び布団の中へ。そのあとから正直、記憶が飛んでいます。「痛い、痛い」「寒いよ~」を連呼していたのはよく覚えています。関節が痛くて痛くて辛かったです。そして、暖房も26度とかに設定してあるにもかかわらずガタガタと死ぬほど寒くて仕方が無かったので、フリースを何枚も使っていました。

途中、寝汗で何回か起きて、着替えと薬だけはしっかりと飲んでいたようですが、あまり記憶がありません。夕方7時ごろ、携帯のバイブの音でハッと起きた、というか意識が戻ります。「ふう、かろうじて生きているなぁ。今って午前の7時?午後の7時?何曜日?」仕事携帯のバイブが再度ブーっとなります。開くとメールでした。履歴を見てみると着信、メールのオンパレード。すでに、午後7時過ぎであることを知ります。「私、無断欠勤?」急いで上司に電話をします。情けないのと、恥ずかしいのと、申し訳ないのと、体のしんどさで最悪の心境でした。

上司、同僚、人事は皆、怒っているのではなく心底心配だったようです。実家にも連絡を入れてくださったようで、万一に備え合鍵を持っている父が昨日は林檎と林檎ジュースを大量に持ってやって来ました。こういう時、「やっぱり病人は一人暮らしをしてはいけないのかなぁ?」と思ってしまいます。気を使わせたくないから一人暮らししているのに、これではかえって逆効果です(涙)。

今日は皆の圧力もあり、「また、これくらいで来るな、とか思われないかなぁ。女子医大の皆さん、本当にごめんなさい。」と思いながらも猫背の背中をさらに丸めて女子医大に通院しました。(やはり基礎疾患があるから周りに「いつものところで(=女子医大)」と言われてしまうのです。私も風邪やインフルエンザくらいで大学病院に行きたくないですし、女子医大さんもいい迷惑ですよね。)

やはり、インフルエンザは陰性でした。どうも、他のウイルスにやられているようです。でも、インフルエンザではなくて良かった!ご対応してくださった大和田先生、西村さん(?)、本当にありがとうございました。お昼の一番忙しい時に大変お騒がせいたしましたことを深くお詫び申し上げます。

予断ですが、新幹線は払い戻しを今日になってからしに行ったので全額は無理でした。7000円くらい損しました。でも、あそこまで体調がひどくて、それでもしも救急車に乗っていたらもっと高くついたでしょうし、仕方の無いことです。ただ、有給が。。。(ウルウル)

2009年12月7日月曜日

肥塚先生との出会い-その2

いよいよ女子医大での初診当日!

ドアを左方向にスライドしてみると、あれ?
その方は正に先ほど車椅子の患者さんを案内なさっていた白髪混じりの小柄な方でした。

その女性は大きめの声で「はい、こんにちはー!」と声をかけて下さいました。
「さっきまで廊下にいらしたのに、どうやってこんなに速くこの部屋にお戻りになったんだろう?」
「とても温厚そうな方だな。」
「というか、この方が教授なの?教授自ら患者さんをご案内してしまうの?」
いい意味でのカルチャーショックでした。アメリカの病院では医師は診療だけして、案内はアシスタントにやらせていました。しかも、小柄、短髪で「凄く偉そう」な雰囲気を醸し出していない、というところが魅力でした。きっと、それは先生のフレンドリーさにあったんだと思います。

「私、あなたのを見てて、アクロメガリーって書いてあったから楽しみだったのよ。」
わたしのってつまり問診表?まぁ、先生に「楽しみ」と言っていただけるケースなら良し!としましょうか(笑)。そして先生は私がなぜ女子医大に来たのかを尋ねて来ました。
「インターネットで検索していた時、先生のお名前がアクロメガリー関連のウェッブに結構出ていたので是非、肥塚先生に診て頂きたかったんです。調べてみたら、先生、火曜日に初診をやっていらっしゃる、ということだったので。」
「あら、御指名ですか。ありがとうございます!」
座ったまま深々とお辞儀する先生。小柄なので、より一層小さく見えてしまい、私のほうが申し訳なく感じてしまいました。というのも、私は大柄なので、(170cm)なんだかこういった状況に出くわすと、訳も無く申し訳なく感じてしまうんですよ。

私はこの「肥塚教授」という方とお話をしていけばいくうちに「私は本当に一番素晴らしいドクターにお会いすることができた!」と確信するようになります。先生のあの飾らない笑顔と豪快な(?)笑い方は日本の病院にかかっているのではなく、自分がまだアメリカにいるような気分にさせました。

私が、経過を説明していくうちに面白いことが判明しました。実は肥塚先生と私は以外なところで繋がっていたのです。私がセカンド・オピニオンを求めたミシガン大学に、肥塚先生もお知り合いがいらっしゃる、とのことでした。「ミシガン大学って、バルカン(先生)がいるわよね?」と肥塚先生。
「そうですね。私はドクター・バルカンの同僚のドクター・ジャフィーに診てもらいました。」
「そうなの?バルカンのところに行ったんだ。私、ついこの間、彼とは座談会をしたばっかりなのよ。」
「えぇ!そうなんですか?世界は本当に狭いですね。」
といったような会話をしたのを覚えております。
「私はアクロメガリーの専門家なら大体知っているのよ。」
う~ん、頼もしい!!

ドクター・バルカンと座談会をしたり、NCBIに英語のジャーナルを出すぐらいなので、英語も堪能とお見受けしました。診療中も「サイロイド(Thyroid-甲状腺)」「ノジュラー(Nodullar-結節)」「コロノスコピー(Colonoscopy-大腸内視鏡)」などといった言葉も分かって下さったので、非常に助かりました。どうやら、先生もアメリカのNIH(National Institute of Health)に留学なさっていたそうです。どうりで英語がよく分かるわけです!

あの日、私は膨大な量のデータを持ってきていたので、先生も「この量の情報を外来だけで整理するのは大変だし、あなたのお薬も整理したいから(すごい量の薬でびっくりされたようです)検査入院したほうがいいと思うんだけど、どう?」ここまで話が進展するまでには私は先生に安心してお任せする決心ができておりました。「この先生なら大丈夫!いや、むしろ、この先生にお任せしたい。

入院となるとお金が絡むので外で待っていた母を呼びました。診療が終わって、部屋を後にすると、母も「なんだか、あの先生のことをずっと前から知っていたような気がする、不思議な先生よね。お母さんも肥塚先生、すごくいいと思うわよ。」

こんな具合で、肥塚先生による初診は終了しました。私が「肥塚ファン」になった日でした。それ以来、毎月、肥塚先生の診療の日は片道2時間の行き帰りは全く苦にならず、私の母は「あなたは本当に肥塚先生が大好きなのね。あんまり先生にご迷惑をかけてはいけませんよ。患者さんはあなた一人ではないんだから。」と呆れるほどでした。

私はNCBIのユーザーですが、この日までは"Acromegaly"しかキーワードを登録しておりませんでしたが、この日、帰宅するなり"Hizuka"を追加しました。これで、肥塚先生のジャーナルがNCBIに出ると、私にメールで自動的にお知らせが来るシステムです。

そんなこんなで、2008年1月22日が終わりました。

私が、この先生の話を留学時代の友人にすると、「日本にもそういうお医者さんがいたんだね!」「一度会ってみたいなぁ」とのこと。カナダのSODという下垂体の病気をもつ友人が「その先生、カナダに引っ越す予定ないの?」と言った時には笑ってしまいました。彼女は良い先生になかなか巡り合えず、苦労しているんです。

今のところ肥塚先生に関して、私の持っている不満(?)は「先生、たまにはゆっくりして下さい」だけです。この間、「なんだか目がしょぼしょぼする」とこぼしていらっしゃったときは本当に不安になりました。それでも、笑顔を絶やさないところが本当の先生の強さ、患者さんへの優しさなんだと思います。

以上、「どうやって、そういう良い先生に巡り合えたの?」という質問に対するご回答とさせていただきます。

2009年12月5日土曜日

肥塚先生との出会い-その1

女子医大・内分泌センターにたどり着くまで

女子医大に受診し始めた頃、いかに私の内分泌の先生は素晴らしい先生か、いかに私はその先生を信頼し、尊敬しているか、といったことを語ると必ずと言っていいほど「どうやってそういう良い先生に巡りあうことが出来たの?」と聞かれたものです。今日の投稿はそういった質問への回答です。

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私の電子カルテには私がインターネットで女子医大を調べて受診した、と記入されています。2007年の12月、私はまだ米国はインディアナ州にいました。2008年1月16日に帰国予定だったので、「お医者さんを探さないと!」とインターネットで内分泌医を検索しました。長くお世話になるかもしれない(でもあの頃は長くなるとはあまり思っていなかった)ですし、なにせ珍しい病気なので、その病気のエキスパートに診て頂きたかった、というのが本音です。また、サンドスタチンは28日ごとに投薬の薬なのですが、プレフィルド注射薬のせいで申請をとらないと日本に持込ができない、という厄介なもの;しかし、申請を取る時間がもうなかったので、とにかく急いで受け入れ先を探しておりました。

理想としては、
  • 首都圏にいらっしゃること
  • 診療だけでなく研究もなさっている、又は新たな治療や研究報告に関しても知識が豊富であること
  • 文書が英語であることと、私自身、医療用語を英語でしかほとんど知らなかったので、英語に堪能であること
 といった条件を求めていましたので、まずサーチエンジンに "Acromegaly Tokyo" (先端巨大症 東京)と入れました。すると、直ぐに出てきたのがNCBIのウェッブの学術論文で、東京女子医大での先端巨大症例65ケースをまとめた内容のものでした。(Clinical features and therapeutic outcomes of 65 patients with acromegaly at Tokyo Women's Medical University) フルテキストはこちらから(PDF)。Fukuda I, Hizuka N, Murakami Y, Itoh E, Yasumoto K, Sata A, Takano K.が著者です。

次に目に付いたのはアクロメガリーインフォサイトの編集委員のメンバーでした。千葉県の実家から通えそうな先生の中で、内分泌の先生は
  • 女子医大: 高野 加寿恵先生
  • 女子医大: 肥塚 直美先生
  • 東大:    高野 幸路先生
あれ、先ほどのジャーナルにも女子医大の高野先生と肥塚先生は登場しておりましたね。NCBIでさっそくお二人のジャーナルの検索を始めました。すると、やはり同じ病院ですので、共同でお出しているものが多かったのですが、私は、この Hizuka N. というドクターに何かを感じたんです。「この先生にお会いしてみたい。」今、考えてみても不思議な感覚でした。(ある種「運命的なもの」を感じてしまったんです。先生、こんな厄介な変な患者でごめんなさい。)

ただ、大学病院に行くには何が何でも紹介状が必要だと思い込んでおり、私の当時の日本の主治医の内科の先生が日医大出身だったので、まず女子医大には紹介状を書かないでしょうね、というのが周りの見解でした。

がっかりして、女子医大の外来のページを読んでみると、保険外併用療養費を払えば紹介がなくても診て下さる診療科もあることを知りました。内分泌内科はどうなんだろう?と思って調べてみると、予約が出来ないだけでした。さっそく診療担当表をチェック!火曜日の午前に肥塚先生は初診を担当していらっしゃることを知り、突撃することにしました。2008年1月22日(火)がその日となりました。早朝に起きて、米国からもってきた検査結果、MRIを手に2時間かけて女子医大まで行きました。

問診表に病名を書く欄があったのですが、アクロメガリーを日本語でなんというのかわからず、そのままアクロメガリーと書いたように思います。「大学病院の教授って、気難しいのかしら?どんな先生なのかしら?」私の中では気難しい、背は若干高めでほっそりした40~50くらいの冷たい感じの先生を勝手に想像して、緊張していました。おそらく「白い巨塔」の見過ぎでしょう(笑)。

いよいよ中待ち。これからお会いする方はアクロに詳しい先生で、NCBIにもジャーナルを出しておられる方だから、知的で洗練されていらっしゃるんだろうなぁ、とそれはそれはワクワクドキドキでした。それでも、やはり怖かったのも事実でした。日本で大学病院にかかるのは初めてでしたし、「教授」の称号のついた方にこんな気軽に診て頂きに来て本当に良かったのか?失礼にあたらないのか?と心配にもなってきました。

中待ちにいると、途中、白髪まじりの小柄な女性で白衣の方が車椅子で患者さんを移動していくのが見えました。「私もあんな風に車椅子で運ばれたことがあったっけ。」とアメリカの病院での思い出に浸ってしまいました。 その白衣の方の笑顔が、飾らないカンジの笑顔で素敵でした。優しそうな方でした。ただ、その白衣なんですが、看護師さんの着るような白衣ではなかったのでちょっと気にはなりました。

そんな中。。。ピンポーン!とかわいらしい音が鳴ります。「現在診療中」の欄に私の番号が!いよいよか!!深呼吸をしてスライド式になっているドアをノック。つい、アメリカ生活で身についてしまったノックの仕方をしてしまい、出だしからちょっとコケてしまいました(笑)。(アメリカ人はドア3-4回くらい、猫のような手つきで素早く連打するんです。)

さぁ、ドアを左方向にスライドした向こう側にいらっしゃった方は。。。

(次回へ続く)

2009年12月2日水曜日

もう頑張れない。

辛い体調不良
「頑張って」なんて気軽に言わないで!

昨日、今日と調子が悪いです。昨日はそれでも何とか遅刻程度でどうにかなったのですが、今日は完全にアウトでした。体の節々が痛く、頭もガンガン、嘔気、それにとてつもない倦怠感。「もう、今日は駄目だ」とは思ったもののなんとか布団から這いずり出てスーツに着替えました。なんともいえぬ脱力感と頭痛。「これから駅まで6~7分歩いて、混んだ電車に30分、駅から会社まで10分。」たとえ会社にたどり着いたとしても仕事は出来ないでしょうし、帰りはどうすればいいのでしょうか?それ以前に、たどり着くことさえ非常に困難だと思いました。

しばらく思い悩みます。「仕事がまた溜まる」「でも、来週からの出張研修を優先させれば今日休んで体調を整えるべきかしら?」「また、『根性なし』『仕事が出来ない』『やる気がない』とか思われるのかしら?」なんだか情けなくて、悔しくて、それでもって気分が最悪状態で気づいたら泣いていました。

結局、今日は1日中寝て過ごしました。座剤のおかげでぐっすり寝てしまったようです。かなり長い間同じ体勢で寝ていたようで、いくらマットレスが低反発とはいえ腰が痛いです。 夕方、ようやく目が覚め、朝から何も食べていないことに気づきました。お腹はあまり空いていませんでしたが、何も食べ物が無かったので、鉛を背負ったような気がするほど重く感じる体を引きずって買い物へ。あとで後悔しました。私の家の周りってスーパーが無いから3駅電車に乗ってデパ地下で買い物なんですが、3駅でも遠く感じました。食べられそうなものを物色した後、しばらくエクセシオールで休憩。「私、帰宅できるのかな?もう、疲れていて動くのも辛い。」帰りの電車で気分が悪くなり、それでもなんとかフラフラと帰宅。

よく考えたら目の前のミニストップでおにぎりとか買ってこれば良かったのかも知れません。それにしてもどうしてこんなに体調が悪いのかしら?通勤、帰宅の電車は片道30分しかかからないのに、最近では途中下車して休み休み行き来しております。もう身体的に限界を感じております。そんな話を昨晩、母にしていたら「まぁ、大変でしょうけど頑張りなさい。」と適当に言われました。

私は思わず腹が立ってしまい、適当に話を終わらせ電話を切ってしまいました。「私はもう十分頑張っていて、これ以上頑張れないのに、なんてひどいことを!」昨晩、休憩するために途中下車して寄ったエクセシオールで、ラテを飲みながら涙が出そうになりました。

頑張って、頑張って、もうこれ以上頑張れない私に「頑張って」なんて簡単に言わないでほしい、と以前に母には伝えたのに、所詮私は彼女にとっては他人なのです。私の苦悩なんて他人事なのです。そう分かっていても彼女に「頑張れ」と言われるたびに死にたくなります

そんな中、励みになっているのは同じ病と共に生きている仲間たちと私を支えてくれているお医者さんたち、看護師さんたち、そして友人です。家族からサポートを得ることができない私には、こういった人たちが大切なサポートなのです。この一人ひとりを裏切らないために、なんとか死なずに私なりに生きています。いつか、自殺のことなどを考えることなく生活することができるようになったらいいなぁ、と願っております。