2009年10月31日土曜日

患者として国に求めること(就労面)

病気になっても安心して暮らせるために

はじめに、私はオーファンドラッグであるサンドスタチンLARを開発してくださり、製造販売なさっているノバルティス・ファーマには感謝をしております。希少疾患の治療薬の場合、開発費に見合った売り上げ、となると厳しいところがあるのですが、それにもかかわらず私たちのためにお薬を作って下さっていることには、感謝感謝なのです。

それを踏まえてから、どうか今日のブログを読んでほしいのです
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私は常日頃からこの日本という国の構造自体に問題を感じることがよくあります。先端巨大症の治療を通しても、そういうことがあり、今日はそのことについてお話ししていきます。

常日頃から不思議に思うことがあります。
それは、私はQOLを上げるためにオクトレオチド(サンドスタチンLAR)による治療を受けているのか否か、ということです。逆の問い方をすれば、私のQOLは治療によって本当に良くなっているのか、ということです。

たしかにオクトレオチドのおかげで
  • IGF-1は下がり、
  • 先端巨大症独特の外見も少しは戻り、
  • 体重も減り、
  • 体毛も少しは薄くなり、
  • 高血糖による感染症も減り、
良かったことには間違いありません。

しかし、それと引き換えの副作用が私には苦痛なのです。
  • 疲労感、倦怠感
  • 頭痛
  • 腹痛
  • 注射部の痛み
  • 毛髪の減少
特に、倦怠感はひどいものです!もう、何もする気になれませんし、お手洗いに起き上がるのも苦痛なときがあります。私の場合、投薬日はさほどひどくないのですが、その翌日が辛いです。偏頭痛の発作に見舞われたり、胃腸障害が起きたりするのも、大体が翌日です。また、投薬翌日の朝は本当にぐったりしてしまいます。それでも、仕事を休むわけにはいかないので、可能であれば無理矢理、重く感じる体を引きずって通勤、営業を行うこととなるのです。

ただ、私は酢酸オクトレオチドという薬物に対して理不尽に思っているわけでもなく、それを作っているノバルティスに何かを要求しているわけでもないのです。病気に対する治療を受けることは患者にとって当然の権利であるべきです。ただ、その治療のために多大な苦痛を強いる場合、それに対する休暇も与えられなくてはいけない、と思っています。ただ、残念なことに日本において、それはほぼ不可能なのではないでしょうか。休めば給料も減り、医療費が払えなくなります。さらに、あまり休みすぎると、仕事を続けていくこと自体が非常に困難になってきます。それだけではなく、この国ではサービス残業が当たり前のように横行しており、私のように複数の疾患を抱えての勤務は実はそれだけでも激務なのに、無言の圧力で違法な残業を強要されるわけです。

サンドスタチンLARからの疲労感等は確かに問題なのかもしれませんが、その副作用等があっても安心して生活できる環境を整えることが日本社会において必要なのでは、と強く思っております。そういった体制を国に整えて頂きたいです。

2009年10月29日木曜日

人の命の尊さ

先週、とある病院の地下で(営業の)アポイント待ちをしていました。この日はなんと!1時間半待たされたのですが、その間、私にとっては大きな出来事がありました。

通常、この病院の地下の廊下で待っていると、看護師さん、物品担当者、厨房の方、臨床工学技師さん、お医者さん、患者さん、といった人々が通過します。そのたびに私は得意の笑顔で「こんにちは」「お大事に」などと挨拶するわけです。そんな中、白衣を着た方が2名前を歩き、その後ろにベッド、さらにそのベッドを押している方が1名、遠くから接近してくるのが見えました。

「地下の放射線治療室にでも行くのかな?」と私は思って見ていました。しかし、よく見るとベッドの上に人らしいもの影がみられないのです。「ん!?なんだろう?」見えたのは光沢のある白い布で、何かを覆っているように見えました。彼らはどんどん近づいてきます。そして、ついに私の前へ。

「あっ!これって。。。?」

このベッドを押している方のうしろに私服の方が3名、この一行について行きました。白衣の方々も、この私服の3名も、みな下を向いていました。

光沢のある真っ白の布、 下を向いて歩く2人の医師と3名の方。私は一瞬でその白い布の下にあるのが何なのか分かりました。それと同時に、なんとも悲しい気持ちになりました。

「あぁ、患者さんが亡くなったんだ。」

あの重苦しい空気、未だに忘れられません。まさに人の命の尊さを象徴するものだったように感じます。どんな亡くなり方をされたのかは分かりませんが、霊安室に運んでゆくところだったのでしょう。ついさきほどご遺族は患者さんの死を知らされたのでしょうか?ご遺族はどんな思いであの地下の廊下を歩いていたのでしょうか?
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 人の命って本当に尊いものです。難病の支援(助成や研究事業)や慢性疾患患者の医療費軽減といった問題はそういった一人ひとりの患者さんの命にかかわるものです。国がこういった方向にお金を使ってくれたら、どんなにいいでしょう。一度しかない人生、私たちはたまたま病気と共に歩まなくてはいけないわけですが、少しでも負担が減れば、といつも思っています。この一度しかない人生、病気と医療費だけに費やされてはもったいないです。負担が減って、私たちの人生がさらに意味あるものになることが私の願いです。

2009年10月26日月曜日

私の症状について(その8)

しゃべりにくいし、首が変だ

  •  舌がもつれる、しゃべりにくい
先端巨大症になると舌も肥大する、と言われています。そのせいか、話していてなんとなくしゃべりにくい、と感じるようになりました。今まで普通に発音できていた言葉を言おうとすると舌がもつれるカンジ。

術後、少しはマシになりましたが、それでも、私の舌は大きいように感じます。なんだか、その場にきちんと収まっていないような気がするのです。


舌がひどく肥大すると、それが原因でいびきや睡眠時無呼吸症候群になる、と聞いたことがありますが、私はそういった問題はないようです。東京女子医大病院に検査入院中、睡眠時無呼吸症候群の検査もしましたが、特に問題なしでした。でも、同じ病気で入院なさっていた同室の方がいびきがひどくて可哀想でした。 ちゃんと普通に呼吸できていたのかしら?

  • 甲状腺の腫れ、甲状腺腫
首の前下の部分が出っ張っていて、喉ぼとけみたいなので気になっていました。自分が毛深いこともあって、「男性ホルモンが多いのかしら?」と思っていました。術後のエコー検査で分かったのですが、これは喉ぼとけではなく、多結節性甲状腺腫 (Multinodular Goiter) というものでした。簡単に言えば、甲状腺にブツブツが沢山できていて甲状腺全体の大きさが大きくなっている状態だと思います。私の場合、この甲状腺腫が何か悪さをしているわけではないので、治療もしておりません。ただ、たまに甲状腺関係のホルモンは検査しています。

甲状腺で、唯一検査値に異常がある、というのはFreeT3がどうも低い、ということですが、これはあまり心配することはないそうです。


あと、たまに甲状腺のあたりが痛いことがあるのですが、医学書に結節が出血を起こすと痛みを伴うことがある、と書いてありました。「出血でも起こしているのかしら?それとも気のせいかしら?」と実はよく分かっておりません。毎回、先生に訊こう、と思っては忘れてしまうのです。今度ことは、ちゃんと訊こう!

2009年10月24日土曜日

通院(10月22日 木曜日)

1.薬切れ?さすがのサンドスタチンLARも42日は持たなかった。
2.先生の専門についてもっと勉強したい。

東京女子医大病院で複数の科にかかっていますが、今回は内分泌内科にフォーカスを当てていきます。

サンドスタチンLARの添付文書には28日ごとの投薬、となっていますが、わたしは通常35日です。前回も9月17日に予約をいれ、35日周期バッチリのはずでした。しかし、8月31日(月)に肥塚先生から連絡があり、17日にどうしても学外の会議に出なくてはならないから、午前中にするか、24日にするか、ほかの先生にお願いしてほしい、とのこと。結局、24日に診てもらうことになりました。この時点で、私のサンドスタチンLARは前回投与から42日目に投与、となってしまいました。

ちなみに、この「17日の学外の会議」とは特定懇である、ということを後になってはむろさんのブログで知ることなり、24日、診察室に入るや否や「先生、先週の今日は本当にお疲れ様でした」と言ってしまいました。

話は戻りますが、前回の投薬から42日も空いてしまったこともあり、私のIGF-1は364ng/mL, GHは17.02ng/mL で、IGF-1は2SDを超えてしまいました。これは、薬が切れてしまった、ということでしょう。次の予約は11月19日(木)。今回の投薬後28日目で、ちょうど女子医大の内分泌内科で公開健康講座がある週です。

診療とは直接関係はないのですが、先生とは20日(火)に電話でお話しました。11疾患が助成対象になったこと、22日の診療のこと、などなど。その際、ソマトメジンA(IGF-II)についてのお話をされていたのですが、そのことについて診療時に色々とお聞きすることができました。私は、恥ずかしながら、肥塚先生が膵外腫瘍、非ラ氏島腫瘍性低血糖 (Non-Islet Cell Tumor Hypoglycemia) の権威であることを存じませんでした。いつも、肥塚先生は私たち患者に耳を傾け、元気になる言葉をかけて下さいますが、患者側は必ずしもその先生が人生を懸けて熱心に研究してきたことについて知っているわけではありません。でも、私としてはそれではいけないなぁ、と思ってしまいました。

女子医大の内分泌内科の中待ちにいると分かるんですが、なぜか6番診察室から盛んに笑い声がいつも聞こえてくるんです。患者さんもその部屋から出てくるときには笑顔の方が多いです。素敵なことですよね。これが肥塚直美先生の医師としての技量なのでは、と思います。

こんな素晴らしい先生に診ていただいているのですから、私も先生が学生時代から熱心に研究を重ねてきた病気について知らなくては、と思っています。 少しずつ、勉強してゆきたいですね。

2009年10月22日木曜日

私の症状について(その7)

糖尿病なのかな?それで生理が来ないの?
  • 血糖値が高くなった
なぜか食後の血糖値が正常値よりも高いことが多くなりました。これを知るそもそものきっかけは、感染症に度々罹るようになり、クリニックにほぼ毎月のように行くようになったからです。特に、耳付近のリンパ節が腫れやすくなり、しょっちゅう抗生物質を飲んでいました。私の主治医は「一度、血糖値を計ってみたほうがいいと思うよ」とおっしゃっていたので、私がOKすると、値が高かったので食事に注意するように指導されました。「境界型糖尿病」の可能性が高い、と指摘されたのですが、あの時はきちんとした検査を行いませんでした。やっておけばよかった。

術後、改めてしっかりと検査をすると、どうもわたしは耐糖能障害があることが分かりました。空腹時の血糖値は普通なのですが、経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)で、75gのブドウ糖投与120分後の血糖値は境界型糖尿病の値でした。ただ、感染症は術前よりも罹りにくくなりましたよ。

  • 月経不順から無月経に
私の生理はまぁまぁ順調に来ていたのですが、2006年の夏ごろから遅れ気味になりました。次第に1ヶ月も遅れるようになり、2006年の11月を最後に術後まで全く月経がありませんでした。あの痛みと煩わしさが無くなったので、始めのころは喜んでいました。しかし、全く来なくなると心配です。

そんな中、下垂体の手術のことについて自分なりに勉強していたとき、「もしも何らかのダメージが下垂体に非可逆的に起きてしまって性ホルモンが出なくなったら、もう私は子供を産めない体になってしまうのかしら?」と残念な気持ちになったのを今でも覚えています。

2007年4月、術後からまた月経が始まりました。ただ、向精神薬を服用した関係もあって、プロラクチンの値が高いので(向精神薬の中にはプロラクチンという下垂体前葉から出るホルモンを上げてしまうものがあります)不順ではあります。
プロラクチンが多いと月経不順や無月経になったりします。

2009年10月20日火曜日

私の症状について(その6)

目がよく見えないなぁ

今回は診断の一番のきっかけとなった視野についてです。
  • 視野狭窄
前々から片目、特に右目だけで見ようとするとよく見えない、と感じていました。ただ、もともと私はひどいガチャ目で、右だけ極端に視力が悪かったんです。(余談ですが、私の祖母も右目が左に比べて非常に悪いです。これは隔世遺伝なのでしょうか?)なので、きっと近視、乱視で見えないんだろう、と思い込んでいました。それでもおかしいな、と思ったのは眼鏡で矯正しても見えない、ということでした。視力面ではきちんと矯正されているのになんだか見えにくい。

突然心配になったのは2006年1月に伝染性単核球症(Mononucleosis)にかかり、療養していた時、本を何の気なしに右目だけで読もうとした時、読めなかったんです。それでも病院に行かず、9月が来ました。9月27日(水)、私はTOEFLを受けにイーストランシングからデトロイトに運転しました。行きは良かったのですが、帰りのThruway(無料の高速)でもう少しで危ない目に遭うところでした。

私は左車線にいたのですが、その車線が「工事のため、この先閉鎖。右車線に変更せよ」という標識があったので、私はまず右後方を確認しました。車はいませんでした。方向指示を出し、再度右後方を確認、車線変更をしようとしました。すると突然、クラクションを鳴らしながら私のすぐ右を大きなクリーム色のバンが通り過ぎたのです!私はびっくりしました。ぜんぜん見えなかった車が突然現れたからです。

その時は「私の確認が甘かったんだ」と思っていました。それから翌年の1月になるまで目が見えにくい、と感じていたにもかかわらず、眼科にも病院にも行きませんでした。そして、2007年の1月、ようやく本格的に医学的な助けを求めました。答えが出たのは同年3月。視野検査で耳側半盲の傾向が見られました。左目はそれほどでもなかったのですが、右目は顕著でした。


上図は術前の視野検査です。(2007年3月26日)
上が左目、下が右目の視野です。
1番下の図で黒いドットの部分が見えなかったところです。

 


 術後の視野検査です。(2007年6月25日)
上が左目、下が右目です。
あの忌々しい黒いドットがなくなりました!
見えるようになったのです。

あのThruwayでの出来事が術前の視野検査でようやく説明がついた気がします。つまり、右車線へ変更する際に必要な視野が欠けていたのです。(右目の右側が見えなかった)

いつもは左目で右目の見えないところを無意識にカバーしていたのですが、左がカバーできないところは全く見えていなかったのです。でも、実際は見えるところしか見ずに生活しているので、見えないところなんて分からないものです。

2009年10月19日月曜日

10月25日はTumors Suck Day

「脳腫瘍って最低!」の日

世間では10月は乳がんの月、といって東京タワーがピンクにライトアップされたり、各種イベントがあるのではないでしょうか?カナダでは25セント硬貨にピンクリボンを印刷(?)した記念硬貨が出ました。

乳がんに対しての意識も大変重要なのですが、実は10月にはもう1つ、覚えておかなくてはならない大切な病気があります。脳腫瘍です!

10月25Eric Galvez(エリック・ガルベズ)という理学療法士が理学療法を必要とする患者となった日です。彼は極めて前向きな人で、患者となってから、ますます一生懸命に生きることに取り組んでいます。そして、「先生」と呼ばれるであろう方なのに、私たちには「僕のことはガルベズって呼んで」と言います。Reversal という闘病記も出版しています。

彼はミシガン大学出身の博士号をもった理学療法士でした。2003年にDTP(理学療法・博士号)を取得したのですが、2005年9月10日に悪性の脳腫瘍と診断され、翌月10月25日に外科手術を受けたのです。ガルベズは「この時、僕は本当の意味で生きることを始めたんだ」と言っています。私も患者だからこのガルベズの言葉の意味とその重みがよく分かります。

彼が脳外科手術を受けた日、つまり「生きることを始めた日」を脳腫瘍の日にしよう、となり、各種イベントを始めたのがおそらく私が脳下垂体腫瘍摘出手術を受けた少し後だったように思います。彼のイベントのために私のMRIの写真や友人、家族との写真をお貸ししたこともあります。

そのお返しにガルベズからは、この腫瘍の日のロゴの入ったステッカーを束でいただきました。Tumors Suck(腫瘍って最低)と書いてあるものです。

皆さんも、どうか10月25日、脳腫瘍の日を覚えて下さいね。


私の診療ノート。
診療の時には必ずこのノートを持っていきます。
右上の黄色いステッカーがガルベズからいただいたものです。 
補足ですが、グレー(またはシルバー)リボンは脳腫瘍のリボンです。 

2009年10月18日日曜日

先端巨大症、医療費助成の対象に!

下垂会の理事長、はむろさんのBlogから引用します。
10月16日、山井政務官が記者会見し、 特定疾患の追加、対象疾患の執行について発表した。 年内申請者は10月1日に遡って医療費を助成する。 申請書類等の準備には一定時間を要するため、 12月31日までに申請のあった者については、 10月1日以降の医療費に遡って医療費助成の対象とする。
 追加11疾患は、 間脳下垂体機能障害、家族性高コレステロール血症、 脊髄性筋萎縮症、球脊髄性筋萎縮症、 慢性炎症性脱髄性多発神経炎、 肥大型心筋症、拘束型心筋症、 ミトコンドリア病、リンパ脈管筋腫症、 重症多形滲出性紅斑(急性期)、黄色靱帯骨化症。
 この中の、「間脳下垂体機能障害」に先端巨大症も含まれております!つまり、もうすぐで私の月最低6~7万円の医療費という重荷がかなり軽くなる、ということです。正直言って、まだ現実感を得ることができていません。ただ、助成を実際に受けられるようになるまでしばらくかかりますので、その間はそれまでと同じ医療費を払うことを考慮に入れてのお金のやりくりを考えないといけないと思います。(ただし、2009年10月1日まで遡って助成していただけるようです。)

ただ、助成のおかげで重すぎる医療費が軽減されるだけではありません。私みたいになんとかギリギリでもやりくりして治療を受けることが出来ている患者さんはまだ幸運で、 実際には医療費が払えない、という理由で治療を受けられない患者さんがいらっしゃることもまた事実なのです。そういった方々が、今回の助成をうけて治療を始めることが出来るようになるかもしれません。

特定疾患の自己負担限度額表は難病情報センターのページをご参考に。
(ページの一番下にあります。)

2009年10月17日土曜日

私の症状について(その5)

履く物、着る物が見つからない!

今回は足、肩幅、肋骨の症状です。
  • 足が大きくなり、靴のサイズが大きくなった。
「普通、大人になったら足は大きくならないはずなのに、私の足はどこまで大きくなるんだろう?」「いつになったら(成長が)止まるんだろう?」と不安かつ疑問でした。高校を2001年3月に卒業した頃は24cmでした。同年、8月に渡米した際のアメリカでの靴のサイズは8 ½ ~ 9でした。

それが2006年5月には9 ½ ~ 10でした。術後、少し小さくなり9~9 ½になりました。2008年に帰国した頃には25.5cm~26cmでしたが、現在は25cm~25.5cm(ただし、ほとんどの場合25.5cm)です。それでも、婦人物で25.5cmはなかなか見つからないし、あっても価格が高く、デザイン性に乏しいのが悩みどころです。また、サイズが合っても、足の形が独特なので、なかなか私が履ける靴が見つかりません。オーダーメイドしかないのかなぁ?

  • 肩幅が広くなった
小学生の頃、3~4年ほど水泳をしておりましたが、先端巨大症になるまで私の肩はあまり広い方ではありませんでした。現にワンピースを着ると、肩の部分がずれ落ちるのでは、というくらい、肩は母譲りに狭かったです。それがいつの間にか変わり、2006年5月に卒業式のドレスを買いに行く頃にはご立派な(?)肩となっており、ドレスを着ると肩が張って見えたの覚えています。「アメリカの食生活をしているとこんな体型になるのかなぁ」なんて思っていました。

アメリカでは9号だったので、私は米国内ではいたって普通のサイズだったのですが、日本に帰ってきてビックリ!私の肩が入る服(トップ)が見つからないのです!就職活動のためにスーツを買おうとした時にその事が分かりました。下(ボトム)は7~9号(9号だと若干ぶかぶかです)なのに上は肩幅にあわせると15~17号!

皆さん、ご存知とは思いますが、洋服は胸囲(バスト)を基準に仕立てます。ですが、私は肩幅が平均的な日本人女性に比べて相当あるので、結果、私の肩幅に合う服はバストが私には大きすぎるのです。ちなみに、私はウエストは細いほうなので、肩幅で選んだ服は腰周りがぶかぶかでなんとも不恰好なのです。

ただ、幸運なことに解決策はあります。先ほど申し上げたように、私の体型はアメリカではごく普通でした。ですので、インポートならバッチリ着られます。「私は西洋風の体型なんだ」と前向きに考えるようにしております。

  • 肋骨が大きくなった
上半身は肩だけでなく胸部も全体的に大きくなりました。肋骨が大きくなったようで、アメリカにいる時ですらTシャツがLでもきつかったです。それなのにウエストは細いので、肋骨が浮き出ており異様に感じます。このせいで、やはりトップは着るものに困っております。それでも、最近はチュニックのようにゆったりした着心地のものが流行っているので、今のところはそういったもので対応しています。

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それにしても、こんなに着るものに困るような病気って他にどんなのがあるのでしょう?SOD(Septo-Optic Dysplasia)という複合型下垂体機能低下症を持った友人が私にはいますが、彼女の場合、下垂体ホルモンが全く出ません。ですから、全ての下垂体前葉のホルモンを充填しているのですが、成長ホルモンが足りていなかったので低身長です。130cm~140cmだったかと思いますが、やはり彼女も服には困っているそうです。性ホルモンも補っているため、成人女性の体型なので、子供服では対応できないようです。

下垂体の病気って大変だなぁ。

2009年10月15日木曜日

私の症状について(その4)

ピアノが弾きやすくなったし、声も低音が楽に出る!でも、高音はどうした?

趣味の音楽を通して気づいた異変についてのお話です。
  • 手、指が大きくなった。
私は6歳の頃からピアノを習っておりました。渡米してからなかなかピアノを弾く機会がなかったのですが、友人宅にホームステイをさせていただいた際、リビングにあったピアノを弾いてみると1オクターブが楽にとどくようになっていました。そのため、手を大きく広げても楽に指先に力が入るように感じました。

ただ、今まで着けていた指輪が入らなくなってしまったのが残念でした。私はピアノを弾いているから指に筋肉が着くから仕方ない、指が太くなるのはよく練習している証拠だ、と思い込んでいました。

成長ホルモン過多になると、手が大きくなるのです。
  • 声が低くなった。
歌うこと、合唱することも私の趣味です。カーペンターズが大好きで、中学校、高校まではカレン・カーペンターの声域でも上の方は楽に歌えておりました。逆に「ソリテア」や「イェスタデー・ワンス・モア」のように低音から入る曲は出だしの音が原音のように低くなりきらなかったのを覚えています。しかし、大学2年目にはこの低音がいとも簡単に出るようになっていたのです!そのかわり高音部はきつくなってきました。23歳の時には私の高校時代の声域から約半オクターブも下にシフトしていたのです。女性ながらに「声変わりしたのかなぁ?」などと思っていました。

合唱でも、もともと私はメゾソプラノか第一アルト(第二アルトのほうが第一よりも低い声域です)でした。ところが気づいてみると、あれれれ?声域の広さはあまり変わらずに(若干狭くなりました)半オクターブも下へシフトしてしまったために、第二アルトになりました。頑張ればバスも歌えます。「あら、凄い低い声が出るのね」と言われるか「ちょっと怖い」と言われるかどちらかです(苦笑)。

先端巨大症になると、声帯も肥大するそうです。そのせいで私も声が低くなったのかも知れません。

2009年10月13日火曜日

私の症状について(その3)

汗の臭いが気になる。しかも毛深いし、剛毛で恥ずかしい。

私が一番恥じていた症状についてお話いたします。
  • 腋臭
制汗剤を使用しても嫌な汗の臭いが非常に気になりました。真冬でも不快な臭いを放っており、人知れず悩んでおりました。Mitchum という超強力なジェル状制汗剤を使い始めてから、ようやく少しは軽減されていましたが、それでも気になっていました。(ただし、安全性はかなり「?」な有効成分配合の製品です)術後はかなり軽減されましたよ。今に至っては、おそらく普通だと思います。やれやれ。。。

  • 体毛が硬く、濃くなった。
生まれつき、私は結構毛深いほうで、髪の毛の量も多いほうでした。しかし、体毛が非常に硬く、太くなってきたのです。それでも、それが異変だなんて思いもしませんでした。「なんだか栄養が行かなくてもいい所に行っているなぁ。」ぐらいにしか思っておりませんでした。

当時、夜の入浴時に足を剃ると、翌日の朝にはすでに硬い体毛が伸びており、チクチクしていました。入院時に数日剃れなかった時は男性の足のように毛深くなっていました。「不快」や「怒り」を通り越して「どうしてこんなに硬くて太い毛がこんなに生えてくるんだろう?」と疑問でした。

術後、まず髪の毛がたくさん抜けました。「甲状腺でも悪いのかしら?」と思っていたら、セカンド・オピニオンでお世話になったミシガン大学のDr. Jaffee (ジャフィー先生) が、「先端巨大症の患者さんは成長ホルモンが多いから、きれいな髪の人が多いんですよ、一本一本太くて、ボリュームがあって。でも、手術などの治療をすることで成長ホルモンが減ると、同時に髪も減ってしまうことが良くあります。」とおっしゃっておりました。今、お世話になっている女子医大の肥塚先生も同じようなことをおっしゃっていました。「手術を受けてGH(成長ホルモン)とIGF-1(ソマトメジン-C)が下がると髪が抜ける、っていう患者さん、結構いらっしゃるのよ。」

その後、気づいたら手足の体毛も薄くなっていました。毛が細く、柔らかくなりました。毎日剃らなくても大丈夫なほどになりました。やれやれ。

2009年10月11日日曜日

私の症状について(その2)

顔がなんだか変わったような?
しかも顔が脂っぽい。 


今回は顔についてです。
  •  顔つきが変わった


    • 額や目の上(眉毛部)が若干とび出てきた
    • 鼻が大きくなった
    • 唇が厚くなった
    • 下あごが出てきた


先端巨大症になると鼻が大きくなったり、眉毛の部分の骨、下あご、頬骨が出てきたり、唇が厚くなったりします。私はもともと鼻が大きい(幅がある)、と思い込んでおり、それがコンプレックスでした。そのせいでしょうか、大きくなったことにあまり気づきませんでした。

ただ、唇は診断される4~5ヶ月前にはなんとなく厚くなってきていることに気付いてはいました。それでも、それが病気かも、という考えには及びませんでした。頬骨、眉毛のあたり、下あごがでてきましたが、眉毛のあたりと下あごは私の父も出っ張っていたので「私は父に似たんだ」と納得していました。

また当時、私は「最近、なんだか顔の彫りが深くなってきたなぁ」とは常々思っていたのです。しかし、なんとも笑えるお話なのですが、「アメリカで生活をしているとこういう顔つきになるのかなぁ」なんて科学的根拠の欠片(かけら)もないことを考えておりました(苦笑)^^;。
  • 顔の皮膚が脂っぽくなった
 子供の頃、アトピー性皮膚炎を持っていた私は大人になっても乾燥肌でした。常に保湿しなくてはいけなかったのに、徐々に混合肌になり、脂性肌となってゆきました。使っている化粧水が悪いのかしら?といろいろ試してみましたが、変わりませんでした。あと、常にギタギタしているのでファンデーションが塗れなくなりました。なんだか粉が脂の上を浮いているようなカンジになってしまったのです。この脂っぽい肌は術後、ゆっくりと混合肌に戻りました。今は普通にお化粧できます。 よかった!

2009年10月9日金曜日

私の症状について(その1)

朝、起きると辛い。。。頭が痛いし、物凄くだるい。

今日は頭痛と慢性疲労についてです。

  • 毎日の頭痛
気が付いたら「朝起きて頭が痛い」というのが普通になっていました。 これは、脳下垂体の腫瘍が周辺組織を圧迫するから痛みが生じるのだそうです。通常は手術で腫瘍を取ると、その圧迫が無くなるので痛くなくなる、または完全 に頭痛が無くならないまでも良くはなるようです。 

私の場合、術後の今でも毎日のように頭が痛いです。なんでだろう?ただ、起き上がったときの頭痛はだいぶ軽減されたように思います。 あと、なぜか偏頭痛は術後から本格的に始まりました。
  • 慢性疲労
いつもグッタリしていました。朝から晩までグッタリです。この疲労感で生きているのが嫌になっていました。ベッドから起き上がれないくらいの疲労感です。2006年の秋にはひどい時は22時間寝ていたこともありました。起きようと思っても疲労感と頭痛のせいで気力も出ない、という状態だったのです。それでも病院に行きませんでした。大したことない、と思っていたのです。  

未だに私はいつも疲れています。朝が特にひどいですが、今のところ何とか無理やり起きています。それでも、どうしても無理な日があったりします。気合云々の問題ではないと思うので、「そんなの気力でなんとかしろ」と言われると本当に辛いです。


2009年10月7日水曜日

ありすぎる!先端巨大症の症状

先端巨大症の症状は実に様々なものがあります。 


アクロメガリーインフォサイトには24の症状がリストアップされております。先端巨大症の症状はこの24の症状に限られたものではありません。このリストを参考に、私が実際に症状として経験したものを挙げていきます。
  • 毎日の頭痛 
  • 慢性疲労
  • 顔つきが変わった
    • 額や目の上(眉毛部)が若干とび出てきた
    • 鼻が大きくなった
    • 唇が厚くなった
    • 下あごが出てきた
  • 顔の皮膚が脂っぽくなった
  • 腋臭
  • 体毛が硬く、濃くなった
  • 手が大きくなり、指輪が入らなくなった
  • 声が低くなった
  • 足が大きくなり、靴のサイズが大きくなった
  • 肩幅が広くなった
  • 肋骨が大きくなった
  • 視野狭窄(耳側半盲)
  • 血糖値が高くなった
  • 月経不順から無月経に
  • 下が絡まる、しゃべりにくい
  • 甲状腺の腫れ、甲状腺腫
  • 大腸ポリープ 
  • 体重の大幅な増加
  • 食欲亢進
今、直ぐに思いついたものだけでもこんなにありました。当時は「血糖値が高いからしんどいのかなぁ?」と思っていました。なんとなく全身 が具合悪く感じており、免疫もかなり弱っていました。主治医は頻繁にクリニックに来る私を診て、糖尿病だと思ったそうです。 ただ、視野の話をした時、私の顔つきを見て、「もしかして・・・下垂体の病気では?」と閃(ひらめ)いた、とおっしゃっておりました。それにしても、これだけ多種多様な症状 が1つの病気によって引き起こされるなんて、凄いことだと思いませんか?

2009年10月5日月曜日

目に見えない病気の辛さ

慢性疾患のほとんどは目に見えない。
元気そうに見える=元気???


糖尿病、高血圧、全身性エリテマトーデス、サルコイドーシスなどなど、慢性疾患と呼ばれるものは数々あります。これらの病気の中には全身性エリテマトーデスの蝶形紅斑のように外見から「分かる人には分かる」症状もあります。ただし、医学に触れることのあまり無い一般人からは健常人と変わらなく見えるのではないのでしょうか。私の持っている先端巨大症の場合、独特の外見になることを除けば、やはり病人には見えないわけで、これが辛いことにもなりえるのです。

先端巨大症を持っていても、しっかりと治療をすれば健常人と同じように普通の生活をおくることができる、とは言われています。しかし、 実際はどうでしょう?私の知る患者さんの多くは疲れやすさ、倦怠感を訴えているように感じます。GH(成長ホルモン)やIGF-1ソマトメジン-C)が下がり過ぎたりすれば当然、疲れやすくなりますし、お薬の副作用だって軽く見てはいけないと思います。また、病気をもっている、ということ自体が既にストレスになっていることだってあります。あと、サンドスタチンLARをご使用の患者さんは薬価の負担の重さが日ごろのストレスとなって重くのしかかっているかもしれません。こういったストレスの一つ一つが易疲労性に拍車をかけている可能性も否定できないような気がします。

 私の場合、サンドスタチンLARの投与には必ずと言って良いほど頭痛が伴うのですが、この痛みだって他の人には見えません。つまり、私が「病気でつらいなぁ、しんどいなぁ。」と感じていることは他の人には永遠に見えないものなのです。私の場合、偏頭痛も患っているのでその発作と先端巨大症の易疲労性、投薬に伴う副作用等でつい休みがちです。

私だって気を遣ってほしくないので、疲労困憊でも頑張って元気でいるように振舞います。 ただ、そうすることでより一層、私の「しんどさ」は分かってもらえないものとなってしまうことがよくあるのです。私は体力の限界を把握しているつもりですが、健常人にはその限界をなかなか理解してもらえません。それは私が「どこも悪そうにはみえない」からのようです。

世の中には顔色が悪くなく、一見元気そうに見えても非常な無理をしている患者さんも沢山いらっしゃると思います。私の祖母もサルコイドーシスの闘病を何年もしてきています。ステロイド治療もしてきており、大変な思いをしてきていることだと思いますが、外見は至って健康です。でも、一日の終わりに祖母を見ていると、「やはり無理しているんだろうなぁ」と今だから(自分も病人だから)分かります。

元気そうに見える=元気
病気=具合悪くみえる

この公式、いま一度考え直してみてはいかがでしょうか。

2009年10月2日金曜日

内分泌科初診(ミシガン州立大にて)

2007年4月の手術を終えて2ヵ月後の6月、私は生まれて初めて内分泌科医にかかることとなりました。

英語では内分泌科医はEndocrinologistと呼ばれるのですが、ネイティブにとっても決して簡単な言葉ではないのに、人間、自分のこととなると凄い!私はこの長い単語をいとも簡単にスラスラと言える様になりました(笑)。

その初診、また初診後の衝撃的事実を今日は3つ、リストアップしていきます。

衝撃的事実その1:「腫瘍はとれたけど、まだGHとIGF-1が高いね。」

が~ん!!そうか、手術で終わりでは無いのか。
ってことはお薬?再手術?放射線?ガンマナイフ?
「薬物療法(Medical Therapy)にしましょう。サンドスタチンという筋肉注射のお薬になります。」
あぁ、なんでよりによって注射なの?しかも筋注?
この病気と一生付き合っていくのかしら?とかなり落ち込みました。

衝撃的事実その2:「僕は先端巨大症の専門ではないからセカンドオピニオンを求めてほしい。」

日本でどれだけセカンドオピニオンが医師によって勧められているのか分かりませんが、Board Certificationという認定医師試験を通過した、いわゆる「よく出来るお医者さん」が自らセカンドオピニオンを勧めるところに私は驚きました。(このドクターは准教授でした。)

でも、初診後、周りに訊いてみると保険会社も医療費削減のためにセカンドオピニオンを求めることを条件に保険金を支払う、という制度があるので、米国では一般的なのかもしれません。

ちなみに私がセカンドオピニオンをいただいたのは先端巨大症の研究・治療で有名なミシガン大学(University of Michigan)でした。これが、後の女子医大とつながることになるのです。

衝撃的事実その3:「薬価は保険適応前が3,600ドルです。」

えぇ!!!そんな馬鹿な?私の年間の薬代の保険適応限度額は2,500ドルですよ~。もう一度、桁をよく確認して下さい。「間違いありません。」

私は直ぐに内分泌科医の秘書に電話しました。「まずは保険会社に連絡するところから始めましょう。あと、何箇所か処方箋薬局を回って薬価を調査してみて。私たちは製薬メーカーの方に連絡をとって助成がないか調べてみるから。」

結局、一番安かったのは私が手術を受けたSparrow Hospitalの院内薬局。約2,400ドルでした。

この薬1回分で私の年間保険適応限度額に達してしまい、お薬を作っているノバルティスのPAP(Patient Assistant Program)のお世話になることとなるのです。保険会社やノバルティスに電話して断られた際、私は泣きながら説得しようとしました。それでも断られ、数日間、涙を流しながら過ごしました。最終的には内分泌科医の秘書さんがノバルティスの方に話をつけて下さったようです。よかった!

(PAPとは、米国市民権を持つ低所得層の患者に無償で治療薬を提供するサービスです。)


保険適応前は$2390.45でした。
単純に3割負担だったとしても$700は超えます。

サンドスタチンLAR(20mg)のアメリカ版パッケージ。
アメリカでは筋肉注射でもこのように患者が自分で薬局で購入し、
投薬日に病院に持っていくのです。

キットです。針は19ゲージ、1.5インチが2本。
確か日本ではプレフィルドではなくてアンプルだったはず。
注射針も入っていなかったと思います。